飄々舎

京都で活動する創作集団・飄々舎のブログです。記事や作品を発表し、オススメの本、テレビ、舞台なども紹介していきます。メンバーはあかごひねひね、鯖ゼリー、玉木青、ひつじのあゆみ。

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「ゆゆしい音色」②:豚娘 【同人小説】

前回はこちら 

hyohyosya.hatenablog.com

 

「あ、西村フユヒコ」

「知り合い?」

「ほらあの人。この前、話したベストセラーの」

「え、なにしてんの? 学生?」

「ちがうよ。出版した本がだめになっちゃったんだって」

「へぇ」

「あの人の書いた『適正人口』っていうタイトルの博士論文、自由とか平和とか平等とか持続可能な科学技術の発展とか経済の均衡状態とかそういう理想社会をかなり厳密にモデル化して論じたものらしくて、論文提出と同時に教授が面白がって結構大きな出版社からアレンジして発売するようにとりつけちゃったの。ぱっと見、トンデモっぽいんだけどね。それが、先生たちも結構うーんって唸っちゃうくらいちゃんとした内容だったんだって。ただ内容に問題があって、そういう社会を人間が何世代にもわたって維持するためには今の世界の人口が多すぎるっていう結論で終わるの。それで『種としての全人類が生き残るためには今の人口規模を抑える必要がある。その措置は平等を期して未曾有の大災害というかたちで訪れる』って最後に書いてあるの」

「どういうこと?」

「世界平和のために大量の人間が死ぬべきだって論文に書いたのよ」

「そんなの通るの?」

「だから、さすがにこの結論はちょっとどうかなっていう話になったらしいんだけど、蒔岡先生が面白がって通しちゃって」

「あの人、やりそう」

「それからなにかの間違いでどっかのライターが「ダ・ヴィンチ」のSF特集でこの本のことをとりあげたせいでちょっと話題になって、学術書なのに本屋のSF文学のコーナーに並ぶようになったらいきなり大ヒット。1週間で電子版と合わせて30万部も売り上げたんだって。もうそれで学者としてっていうかどっちかというと作家としてしばらく安泰、と思うじゃない。そのはずだったんだけど、」

「だけど、」

「それが2011年2月のこと。出版から1ヶ月で震災よ。地震のあとに出版社が刷った分を全部自主回収。博士号も取り消しで、一度受けつけた論文も撤回。結構なスキャンダルのはずだったんだけどもうその頃は震災と原発事故の話題で持ちきりだったから週刊誌すら本のことを話題にもしなかった。学校も卒業しちゃったから今はニートなんじゃない?」

「よく知ってるね。そんな話」

「あの人、毎週来るのよ。ゼミのときはいっつもこの研究室に」

「へぇ」

「先輩に聞いたけど、そうらしいよ」

 T大学文学部社会学研究室、水曜日4限蒔岡ゼミ。長方形の小さな研究室。部屋に入ると正面奥にコピー機と生徒名簿の置いてある机、両脇の壁いっぱいに天井まで高さのある梯子付き本棚。そこに詰められた各種専門書と歴代の学士・修士卒業生の卒業論文、入り口横に給湯セットとお菓子の袋がいくつか置かれたテーブル、小型の冷蔵庫、教室中央にコの字型に並べられた長机。本日発表予定の生徒が自前のパソコンを研究室所有のプロジェクターにつないでプレゼン用のスライドをチェックしている。長机を囲んで大きさがばらばらの椅子にそれぞれ座った生徒の数は聴講生も含めて2、3、4……体を横に向ければすぐにこっそり耳打ちできるくらいくっついて座っている女子大生2人。彼女たちと目が合う。右に、左に一人ずつ。目をそらす。扉が開いて5分遅れで教授がやってくる。

 

 

*** *** ***

 

 まあ大体本当のことだけれどそれでもいつまでも前のことを言われるのは気分が悪い。教授は未だにゼミや自分の講演会の日程を送ってくるし、僕も暇なのでのこのこ出席するけれど、面白がって授業の終わりに「他になにか質問ありませんか? ……西村先生?」とわざとらしく言うのは完全にからかっている。授業が終わって階段を降りて教室のある棟を出て構内の駐車場に向かおうとすると文学部棟内の中庭、屋外に出たところで10メートルくらい向こうにさっきの女子大生、二人。

「うわ、西村!」

「ちょっと、呼び捨て!」片方が慌てて口を押さえる。

「やばい、聞こえたかな」聞こえた。

「大丈夫だって」ばっちり聞こえてる。

「そっか。そうだよね。でもなんかすげーこっち見てない?」

「うそ? 気のせいだって」

「気のせいじゃないって。こっち見てる」

「え、逃げる? どうする? 逃げる?」

 そのとき「フユヒコ!」と呼びかける黄色い声。僕がじっと見ていたのは彼女たちではなく彼女たちの後ろからこちらに走ってくる女、というかほとんど少女。小汚い紺色のつなぎを着ていることとアクセサリーを一切身に着けていないこと以外は、ふんわりとボリュームを残したままきれいにまとめられた肩の上までの黒いショートヘア、丸くて大きな瞳、意地悪そうな垂れ目、長い睫毛、小さく尖った鼻、同じように小さな顎、グロスで潤んだ唇、今どきの垢抜けた女子大生、木村濃子、18歳、童顔、巨乳。彼女の履いたスニーカーが地面を踏み鳴らす音は徐々に強まる。二人の女子大生の姿は眼中にない。

「あれ、誰?」

「彼女?」

「嘘! あの人、結婚してるはずだよ。」

「なにげに詳しいよね」

「っていうか可愛くない?」

「あれはないわ。犯罪だよ」

「たしかに」

「ありえないって。援交でしょ」

 すぐ近くまでやってきた濃子が異常な回数の瞬きをしながら、僕のほうをじとっと見つめ、

「駐車場、いっぱいあってわかんなかった」

「前も来たじゃん」

「だって」

 これ見よがしに彼女の頭を撫でると、向こうで女二人が嫌悪と羨望の混じった妙な表情でこちらを見返してるのが確認しなくてもわかるのでにやにやとゲスなかたちに顔が緩む。

「車、どこ?」

「この建物の裏」

 彼女は僕がバイトをしている養豚場に研修で来ている隣の県の畜産大学校に通う女子大生。週3で会っている。「ぶたさん、ぶたさん」とこうやって鼻歌を歌うくらいの豚マニアで今からデートで屠殺場に向かう。

「今朝の荷物、ちゃんと持っていってくれた?」

「うん、おじさんに預けてきたよ」

「ありがとう」

「あれ、中身いつもなに入ってるの?」

 僕が養豚場でバイトをすることになったのは死体を処理するためだ。身につけているものを一通り脱がしたあとひとつずつ歯を抜き、原型のわからないサイズにばらばらにして農場に運んでから正規ルートでは流通できない豚のえさにしてしまう。そうするとあとにはなにも残らない。もちろんこんなこと、濃子はまったく知らない。

「秘密」

「けち」

 おじさんとは養豚場の主、井村さんのことだ。妻の実父である大手食料品メーカー「キタムラ・フーズ」の三代目経営者、北村誠一と井村さんとは旧知の仲なので妻のことも僕よりずっと前からよく知っている。それで、彼は黒いビニール袋の中身についても承知している。

「おじさん、嫌そうな顔してたでしょ」

「そんなことないよ。別に、無表情だった」

「こう、眉間にしわ寄せて」

「そんなことないって。フユヒコ、おじさんのこと苦手なんでしょ」悪戯っぽく笑う。

「フユヒコ、運転する?」

「いや、事故ったら免許証に傷が付くのでいいです」

「はーい」

 彼女の運転するミニバンには運転席と助手席に豚のクッション、豚のマグネット、豚がアイコンのカーナビ、ダッシュボードに車検書類の入った豚のクリアファイル。デフォルメされたグッズのキャラクターはみんなあどけない顔をしているが、豚はたいていのものを食べる。これは一部の宗教でこの動物が汚れたものとして扱われる理由でもある。

「でも豚さんってすごくきれい好きだから、全然汚くないんだよ。うんことかおしっこたくさんしてなんでも食べるって人間と一緒だからね。臓器のかたちもよく似てるし」と郊外の屠殺場にたどり着くまで運転中もずっと豚の話。突然、アクセルを踏んで反対車線にはみだしてなにかをよける。

「え、なに!?」

「あ、ごめん。猫、踏みそうになったから」

「……そうか」遠くからぶつかりそうになった相手の車のクラクションの音。

「着いたよー」

 早っ! 施設の裏の駐車場に車を停めると彼女は「ああ、もううちのトラックやっぱり先に着いちゃってるね」と言ってそそくさと車を出て走って施設の中へ。急いであとを追いかけるがあっというまに見失う。屠殺を待つ豚たちの係留所を越え、固定された豚のベルトコンベア、施設中に響くスタンナーの無機質な破裂音、その向こうにある階段をあがってひとつ上の階に上がると足を切り落とされて上からフックで釣られアジの開き状態にされて鮮やかな内臓が露わになった無数の豚がクリーニング屋の保管庫みたいに規則正しく並ぶ。壮観。やっと追いついて発見した濃子は大切なプレゼント用のぬいぐるみを選ぶ少女みたいに豚の顔をひとつずつ確認して回る。ゴム手袋越しとはいえべたべたとそこら中の豚を触る女を他の農場から来た作業員も最初は訝しがっているが、それでも濃子自身は楽しくてたまらないという様子なので周囲のおじさんたちもだんだん口元が緩む。彼女の眼中には豚しかない。鼻の穴をいっぱいに開いてピンクの肉片を目の前に感激の表情。一度実際の養豚場に行ってみるとよくわかるが濃子は本当に豚によく似ていて、可愛くて丸っこくてすばしっこくてよく跳ねる。

「あったよー」

 専用のナイフを片手に彼女が施設中に響くよく通る黄色い声で僕を呼んでいる。

 

つづく

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