飄々舎

京都で活動する創作集団・飄々舎のブログです。記事や作品を発表し、オススメの本、テレビ、舞台なども紹介していきます。メンバーはあかごひねひね、鯖ゼリー、玉木青、ひつじのあゆみ。

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ラーメンズから広がる世界(第二回 いとうせいこう)

この記事は以前書いた「ラーメンズから広がる世界(第一回 ラーメンズ・シティボーイズ)という記事の続きになります。

 

hyohyosya.hatenablog.com

 

前回の記事では、高校時代にラーメンズに出会った僕が、ニコニコ動画で見たラーメンズの動画のコメントを通じてシティボーイズを知ったところまで書きました。

 

今回の記事では、そのシティボーイズのコント公演の準レギュラーであるいとうせいこうについて書きたいと思います。今回、取り上げる対象が一人であることと、対象に対する愛が重すぎて、知ってることを全部書き散らしたかなり読みにくい記事になりました。先に謝ります。すみません。

 シティボーイズのライブを見て

 

シティボーイズのライブでいとうせいこうを見た僕は、なんとも不思議な気分になりました。僕の中でいとうせいこうとは、ビットランドのセイコー。子供番組の司会をしている微妙なタレントというイメージだったからです。

しかし、いとうせいこうが加わった時のシティボーイズのコントは面白い。「一体何だこの人は?」そう思って、いとうせいこうのことを調べ始めると、この人、すごく面白い人でした。

いとうせいこうとは、芸人であり、ラッパーであり、小説家だったのです。

 

芸人として

ピン芸時代

まず、彼の芸人としての側面を説明します。
いとうは、大学時代からピン芸をやっていたといいます。どんな芸をしていたかは僕も知りませんが、大学時代にすでにビックリハウス(当時のサブカル雑誌)主催のお笑いコンテストで優勝しています。そのコンテストで優勝した後、ラジオ番組を持たせてやると持ちかけられたのに対して、当時尖っていたいとうは「そんなものいらないからラジオの裏側が見たい」と答え、しばらくタモリのラジオ番組のADをやっていたそうです。
大学時代にタモリ研究会に入っていたらしく、いとうせいこうのタモリに対するリスペクトはそこかしこに感じられます。初期のタモリ倶楽部にも出ていたようです。
また、同時期からシティボーイズとも親交があり、一緒の舞台に立っていたようです。
その後、いとうは大学を卒業し、講談社に入社。ホットドッグプレスの編集などを担当します。当時常連投稿者だった「ナンシー関」の名前を考えたのもいとうせいこうらしいです。
しかし、シティボーイズらとのコントの日々がどうしても忘れられなかったいとうは入社2年で講談社を退職。そして、伝説のコントグループ「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」が誕生するのです。

ラジカル・ガジベリビンバ・システム

「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」とは、シティボーイズ、宮沢章夫、いとうせいこう、中村有志、竹中直人を中心としたコントユニットです。ちなみに、中島らもの『今夜、すべてのバーで』という小説には、「ラジカル・ガジベリビンバ・システムのような舞台が好き」と言う学生がちょろっと出てきます。まあ、それくらい当時のサブカル界隈では名の知れたグループだったのでしょう。

 

今夜、すベてのバーで (講談社文庫)

今夜、すベてのバーで (講談社文庫)

 

 


ここで初めて出てくる名前を紹介すると、宮沢章夫は劇作家でラジカルの作・演出を担当。その後日本の演劇界で最高の賞である岸田国郎戯曲賞を受賞し、現在は劇作家・小説家・大学教員と多方面で活動中です。最近ではNHKの番組『ニッポン戦後サブカルチャー史』で独自のサブカルチャー論を展開し、話題になりました。

 

NHK ニッポン戦後サブカルチャー史

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中村有志(現在の芸名は「中村ゆうじ」)は役者でパントマイマー。初期のビットランドでロン毛の汚いカツラをかぶって黒のタンクトップを着て「ユージン」を演じていた人です。この人もシティボーイズのライブにはいとうせいこう以上の頻度でほぼ毎年出演している、シティボーイズの「盟友」です。
竹中直人は、あの竹中直人です。

 

余談ですが、3年前のシティボーイズのライブで、演出家が宮沢章夫、いとうせいこうと中村ゆうじが出演という、竹中直人を除いてラジカルの主要メンバーが再集結するという公演がありました。

 

 これです。


僕は大阪まで見に行きましたが、面白かったなあ。
確かその時はいとうせいこうの『想像ラジオ』が三島由紀夫賞にノミネートされていて、しかも、元ラジカル以外で出ていた2人の若いキャストの1人である、劇団「鉄割アルバトロスロケット」の戌井昭人は芥川賞ノミネート経験者。そして作・演出の宮沢章夫は劇作家であり小説家。公演の主要メンバーに作家が三人も入っていて、カーテンコールで誰かが「文士劇だ」と言っていました。
しかもその年の芥川賞にいとうせいこうと戌井昭人がどちらもノミネートされて、公演終わってからもさらに驚きました。

 

想像ラジオ (河出文庫)

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まずいスープ (新潮文庫)

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その後

話を戻すと、ラジカル・ガジベリビンバ・システムはしばらく活動した後に解散します。しかし、いとうせいこうはその後もシティボーイズのライブの準レギュラーとして出演し続けることになります。

また、ベケットの有名な戯曲『ゴドーを待ちながら』のパロディである一人芝居『ゴドーは待たれながら』をシティボーイズのメンバーであるきたろうに書き下ろしたりもしています。

 

ゴドーは待たれながら

ゴドーは待たれながら

 

 

この『ゴドーは待たれながら』は近年、大倉孝二主演、ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出で再演されました。そして、実はその大阪公演が、先ほどのラジカルメンバー再集結のシティボーイズの大阪公演と時期が同じだったのです。

シティボーイズファンである僕は迷わずシティボーイズのライブに行きましたが、友人の青木は『ゴドーは待たれながら』に行きました。そして、そこの会場のトイレでシティボーイズのきたろうを見たと、後で話をされました。滅茶苦茶悔しかった。僕もきたろう近くで見たかった。

 

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ラッパーとして


いとうせいこうは、日本のヒップホップの先駆者の一人だと言われています。有名な曲には『東京ブロンクス』『噂だけの世紀末』などがあります。また近年はロロロ(クチロロ)というグループに加入し、そのアルバムに収録した、自分とヒップホップの出会いと初期のヒップホップの思い出について歌ったラップ『ヒップホップの初期衝動』をいくつかのイベントで歌ったりしているほか、歴史をテーマに曲を作る「レキシ」のアルバムに「足軽先生」という名前で参加し、『狩りから稲作へ』や『年貢 for you』などの曲でラップを披露しています。 

下はレキシの『年貢 for you』歌っている「旗本ひろし」は秦基博です。やついいちろうは、なんでいるのかよくわからない。


レキシ - 年貢 for you feat. 旗本ひろし、足軽先生 - YouTube


何でも、いとうは学生時代、アメリカのヒット曲をとにかく早くキャッチするために米軍放送を聞いていて、そこでヒップホップを初めて聞いたのだそうです。それを、「こんな変な曲あるよね」と同じようにアメリカの音楽トレンドに詳しい知人の前でモノマネして「あるある!」とウケていたのが彼のラップの始まりらしいです。

その後、いとうはヒップホップMCとして活動を始め、草創期のヒップホップシーンに大きな存在感を残しました。

ライムスターの宇多丸はいとうせいこうの影響をかなり強く受けているらしく、自分のラジオで対談をしたり、いとうの番組「オトナの!」の企画でヒップホップライブを一緒に開いたりしています。その公式動画がユーチューブに上がっていますが、これがめちゃくちゃカッコイイんですよ。メンバー豪華だし。公式動画なので下に貼っておきます。


ONCE AGAIN - YouTube


ちなみに、公式動画ではないのでここでは貼りませんが、いとうせいこうがZeebraと高木完主催のヒップホップイベントに出た時の動画、これも滅茶苦茶かっこいいです。他にはユーチューブに上がってるラジカル・ガジベリビンバ・システムの公演の動画。この動画では、公演の終わりのカーテンコールで若き日のいとうせいこうがラップ調で煽りながらメンバー紹介をしている場面が見られます。また調べて見てみてください。

 

作家として

処女作のヒット

作家としてのいとうせいこうの初期の代表作は処女小説である『ノーライフキング』だと思うのですが、残念ながら僕はまだ読めていません。この小説ヒットし、文学賞にノミネートされました。その後も数本小説を執筆しますが、ほどなくしていとうせいこうは小説が一切書けなくなってしまいます。
本人はこの時期のことを後に「意味を重ねていくことが出来なくなった」と言っています。例えば「コップが落ちて割れた」と言う文が書けなかったそうです。コップが落ちることと、割れることは別のことで、それをつなげて書くことが苦痛だったらしいです。

 

ボタニカル・ライフ


その後の作家活動としては、ブログに書いていた園芸日記が『ボタニカル・ライフ』という題で出版され、講談社エッセイ賞を受賞しました。この作品はつい最近「園芸戦士ベランダー」として映像化されました。この本は読みましたが面白かったです。ベランダで植物を育てる自分を「ベランダー」と呼び、軟弱なガーデニングとは違う、男の園芸の記録です。

 

ボタニカル・ライフ―植物生活 (新潮文庫)

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小説家として復活


そして震災後、ずっと書けなかった小説を久しぶりに執筆。それが『想像ラジオ』です。この作品はヒットして芥川賞候補にもなり、そもそも、芥川賞は新人作家の賞なのに「処女作がヒットした後すぐに小説が書けなくなって20年書いてない人」は新人なのか、という部分も込みで話題になりました。その後は『20年間便秘だった人の気持ち』などと言いながら次々と小説を執筆。2013年には『想像ラジオ』に続いて『鼻に挟み撃ち』が再び芥川賞候補になりました。

 

鼻に挟み撃ち 他三編

鼻に挟み撃ち 他三編

 

 

実はこの『鼻に挟み撃ち』という小説は、一部にいとうせいこうの過去の実話が挿入されていて、そこになんとシティボーイズが出てくるのです。

公演名は作中では明かされてませんが、時期的にシティボーイズの『マンドラゴラが振る沼』という公演に出た時の話だと思われます。その当時、舞台を控えたいとうせいこうはパニック障害に悩まされていて……というエピソードです。深刻な状況ですが、端から見るとコントみたいな状況が舞台裏で起こっていたらしいです。
『マンドラゴラの降る沼』はゲストととして銀粉蝶が参加していて、僕の一番好きな公演なんですが、小説を読んでからDVDを見直すと確かにいとうせいこうの目がやばいんですよね。詳しいエピソードは小説を買うか、ラジオの音声を探して下さい。大竹まことのゴールデンラジオにいとうせいこうが出た時に話してました。

あと、『マンドラゴラの降る沼』はニコニコ動画にコントが一本(「なまわかり万歳」というコント)、ユーチューブにも一本(原発のコント)が上がっています。

 

シティボーイズミックスPRESENTS マンドラゴラの降る沼 [DVD]

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……と、いうような人が、いとうせいこうという人です。

 

この、いとうせいこうから、僕はさらに二人の人物を知りました。一人はすでに書きましたがライムスターの宇多丸。自分が見た映画の評論をこの人がしてたら、とりあえずポッドキャストで聞いちゃうくらいは好きです。

そしてもう一人が、いとうせいこうに勝るとも劣らない怪物。サブカル・キング、みうらじゅんです。

 

(次回に続く)