飄々舎

京都で活動する創作集団・飄々舎のブログです。記事や作品を発表し、オススメの本、テレビ、舞台なども紹介していきます。メンバーはあかごひねひね、鯖ゼリー、玉木青、ひつじのあゆみ。

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「ゆゆしい音色」4−2:初恋 【同人小説】

 ジャンボジェット機が墜落する。

 小学校5年のみきちゃんは瞳が大きくて鼻が高くて面長の女の子。今は丸顔だが、その面影はしっかり残っている。むしろ彼女は子どもの頃に顔のパーツの7割がすでに完成してしまっていて、あとから他の部分が追いついてバランスが整っていったようだ。

 その日、みきちゃんが図画工作室に残って一人で粘土を捏ねていた。彼女は図工がものすごく苦手だった。小学校5年の1学期に自分の好きなものを粘土で造形して夏休みのうちに図工の先生が学校の窯で焼いてくれるという課題があった。みきちゃんはいつまでも完成しないので、その時期はずっと一人で図画工作室に居残って作業していた。

 同級生に奥谷なつきという女子がいた。この娘と僕とは親同士の仲が良かったという

 

ので幼稚園の頃から一緒に海に行ったりディズニーランドに行ったりバーベキューをしたりして家族ぐるみの付き合いをしていた。神経質でひねくれた子どもだった僕を奥谷はいつも隠れていじめ回していた。小学校5年のときに僕がみきちゃんのことを好きだと知っていたのはこの奥谷だけだった。彼女は放課後に僕の腕を痕がつくくらい強く握って引っ張り、図画工作室に押し込んで、わざとらしく大きな音を立ててドアを閉めた。いらいらと粘土板に粘土をうちつける水色のフリースを着たみきちゃんがいた。

「なに?」

「ああ、あのさ。元気?」

「あんまり」

「そうか。そうだよね。それ、なにつくってるの?」みきちゃんの手元にはかろうじて顔だとわかるなにかがあった。角度によっては水木しげるが描いた日本兵に見える。

「お父さん」

「へぇ。お父さん、なにしてるの?」

「家電のセールスマン」

「……へぇ。いいと思うよ。表現主義的で」

「なにそれ?」

「本にかいてあった。新しいんだって」

「ほめてるの?」

「もちろん」

「じゃあありがとう」

「みきちゃん!」

「……なに?」

「いいことを教えてあげようか。僕はね。きみのことがその……好きなんだ。これはとってもいいことなんだよ。みきちゃん、きみは僕と付き合ってもいいんだ」

 しばしの沈黙。その間、窓の隙間から漏れた風がぴゅうぴゅうと鳴っていた。それが、いくつも歳をとってしまうくらい長く感じられたのは今も覚えている。

「へぇ。本当なんだ。知ってるよ。さっきなつきちゃんが来て同じこと言って行っちゃった。でもみきはフユヒコくんのこと好きじゃないよ」

「好きじゃないよ!」「好きじゃないよ!」「好きじゃないよ!」「好きじゃないよ!」

目の前にその「好きじゃないよ!」の音を立てて墜落するジャンボジェット機の幻覚を見る。その瞬間にくらっと体の力が抜けてしまったのだろう。身体から魂がすっぽり抜けるみたいに大きな息の塊が口から漏れる。太もものあたりに伝うねっとりと温かい感触。図画工作室にたちこめるインドールと硫化物の異臭。みきちゃんは目の前で同級生が泡を吹いて気絶し、脱糞していることに気がつく。様子を確認しに来た奥谷がすぐに保健室の教師を呼んできて、大量のトイレットペーパー、防臭剤を持って保健の先生、意地悪そうなおばさんが面倒臭そうにやってくる。薄れゆく意識の中でみきちゃんが奥谷に「どうしよう、どうしよう、私のせいかな? 私が悪いかな?」と言い続けていたのが最後の記憶。

 その後の一週間、僕は熱を出して学校を休んだが、毎晩その音を立てて墜落する飛行機の夢にうなされ続けた。学校に復帰する頃には図画工作室の事件は十分に広まっていて、卒業するまで一人も友達がいなかった。そんなことはどうでもよかった。みきちゃんは僕と一切口を利かなくなった。彼女は僕を軽蔑しているというよりも、僕の事を怖がっていた。僕は彼女にトラウマを植え付けてしまった。奥谷だけが僕と口を利いた。奥谷は悪魔みたいにけらけら笑いながら僕の耳元で余計な情報を囁く。みきちゃんはそのずっと前から中野という同級生の男子と付き合っていた。中野というのは小学校3年までは肥満キャラで通っていた。ほとんど人前で喋らない男だったが、4年生から地元のサッカークラブに入ってゴールキーパーをやりはじめ、5年生になるころには急にがたいのいい男らしい体になっていた。告白もみきちゃんのほうからしたらしい。小学生の付き合うなんて所詮男女のグループで市民プールか夏祭りにでも行って、適当に解散する頃には結局男は男同士、女の子は女の子同士、男女ばらばらになってしまい、秋頃にはそんなことがあったのも忘れてしまうくらいの、「付き合う」っていうのを言ってみたいだけのなにかだろうに。でもそのときはそれで世界が終わったような気分になった。中野とみきちゃんがいつも一緒に二人で学校から帰っていた。僕はそれを見ると「体か、体がいいのか」と絶望的な気持ちになった。

 

 マホガニーの内壁、白い鉢に植わったハトスヘデラ、ビニール・レザーのソファ、♪”You Always Hurt The One You Love” 。僕はみきちゃんとコーヒーを飲んでいる。彼女は僕の事をうっすらと同級生として覚えているくらいの様子でいいことも悪いことも具体的なことはなにも口にしなかった。

「…でも、すごいよ。女性でもう警部補なんて」

「ありがとう。村西くんは、どうして美術館に?」

「展覧会、見に来ただけだよ」

「絵、好きなんだ」

「でも勘違いしないでね。たまたま招待券、もらっただけで。ドイツ表現主義なんか全然興味ないから。あんなヒステリックな絵、全然好きじゃないから」

「そうなんだ。詳しいんだね。私、絵とか全然わかんないから」

「ほら、歌でいうと上手くないのに声がでかくて暑苦しくて迫力だけあるみたいな」

「うーん、わかんない」

「なんでも思ったこと全部言っちゃうとか。考える前にまず行動、みたいな」

「なんか自分のこと、言われてるみたいな気がしてきた」

「いや、ちがう。みきちゃんは全然そんなことないんだけど。ほら、野球中継。野球中継みたいな感じ」

「え?」

 しばし、沈黙。

「あと、西村ね」

「え? あたし、さっきなんて…」

「村西、って。あ、まあいや本当になんていうか全然気にしてはいないんだけど」

「……。西村くん、今なにしてるの?」

 みきちゃんがマグカップの取っ手を握る僕の指を見ていた。妻には付き合っているときにシルバーリングをプレゼントした事があった。ピアノを弾くのに邪魔だと言って彼女にはその場で指輪を捨てられた。だから結婚指輪は買ってない。割に高かったので僕はそのときのリングをずっと自分の薬指にはめている。

「結婚してるの?」

 

つづく

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