飄々舎

京都で活動する創作集団・飄々舎のブログです。記事や作品を発表し、オススメの本、テレビ、舞台なども紹介していきます。メンバーはあかごひねひね、鯖ゼリー、玉木青、ひつじのあゆみ。

スポンサーリンク

細田守『バケモノの子』とハーマン・メルヴィル『白鯨』について【おすすめ夏休み映画】※一部ネタバレ感想あり

 イトウモです。

 一ヶ月ほど前になりますが、細田守監督の話題作『バケモノの子』を見てきました。青木さんからのお達しもあり、この作品について少し書いてみようと思います。

 熱心なファンというわけではないですが、細田作品についてはデジモンやワンピースも含めて劇場公開作品は一通り見ています。

 

個人的には被写体の動きの躍動感、移り変わる景色の美しさに映像としての見応えを一番感じる『おおかみこどもの雨と雪』が一番の傑作、今回の『バケモノの子』、映像的な魅力に関してはこれに一段劣るかなとも思いましたが、かなり楽しむことができました。

 

 

 

おおかみこどもの雨と雪(本編1枚+特典ディスクDVD1枚)

おおかみこどもの雨と雪(本編1枚+特典ディスクDVD1枚)

 

 

 

 僕は中学一年の従兄弟と見に行ったのですが彼もかなり満足したようで(彼に聞くと細田作品で一番面白いのは『サマーウォーズ』らしい。『ぼくらのウォーゲーム』は見てない。)子どもの成長譚に絞ったプロット、クライマックスにバトルシーンを持ってくるあたり夏休み映画のお手本となる作品になったのではないでしょうか。

 

 デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!/デジモンアドベンチャー【劇場版】 [DVD]

 

デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!/デジモンアドベンチャー【劇場版】 [DVD]

 

 

 

 ここから本題です。今回の『バケモノの子』で僕がとりわけ注目したいのは、今までの細田作品とは変わってかなりがっつり一つの小説がモチーフとして取り入れられているという点でした。

 

*以下ネタバレ含む

 

 まずは『バケモノの子』のあらすじを見てみましょう。

 

人間界「渋谷」とバケモノ界「渋天街」・・交わることのない二つの世界があった。

ある日、渋谷にいた一人ぼっちの少年が、バケモノ界「渋天街」に迷い込み、バケモノ・熊徹に出会う。

少年は強くなるために渋天街で熊徹の弟子となり、熊徹から九太(きゅうた)と言う名前を命名される。

奇妙な師弟関係の2人は、ことあるごとにぶつかり合いながらも、修行と冒険の日々を重ねるうちに絆が芽生えていく。まるで本当の親子のように・・。

成長して渋谷へ戻った九太は、高校生の楓から新しい世界や価値観を吸収し、生きるべき世界を模索するように。

そんな中、両世界を巻き込む事件が起こり……。

渋谷の街とバケモノたちが住む「渋天街(じゅううてんがい)」という2つの世界を交錯させながら、不幸な少年が身勝手なバケモノとの出会いにより成長し、バケモノと少年の奇妙な師弟関係や親子の絆を描く感動的な物語。

ストーリー|「バケモノの子」公式サイト

 

 

 

 9歳で熊鉄というバケモノに拾われバケモノの世界で育った九太(蓮)は高校生相当の年齢になり再び人間界に足を踏み入れます。熊鉄と生活している間、まったく学校に通っていなかった九太の学力は小学生のまま止まっています。だから彼は図書館に行って本を開いてみてもそこに書かれている漢字がほとんど読めません。九太はその図書館で知り合った(おそらく)同い年の女の子、楓のまえで図書館で借りた本(住所がないのにどうやって本を借りたのだろうとも思うけれど)を取り出し、彼女に勉強を教えてもらうようになります。ここで九太が取り出した本というのがハーマン・メルヴィルの『白鯨』です。

 

 『白鯨』の登場はとても唐突で、なんの説明もされません。なのでここで少し『白鯨』という小説について詳しく見てみましょう。

  

 

19世紀後半の帆船時代、アメリカの捕鯨船団は世界の海洋に進出し、さかんに捕鯨を行っていた。当時の大捕鯨基地・アメリカ東部のナンタケットにやってきたイシュメイル(物語の語り手)は、港の木賃宿

で同宿した、南太平洋出身の巨漢の銛打ち・クイークェグとともに、捕鯨船ピークォド号に乗り込むことになった。出航のあと甲板に現れた船長のエイハブは、かつてモビィ・ディックと渾名される白いマッコウクジラに片足を食いちぎられ、鯨骨製の義足を装着していた。片足を奪った「白鯨」に対するエイハブ船長の復讐心は、モビィ・ディックを悪魔の化身とみなし、報復に執念を燃やす狂気と化していた。エイハブ船長を諌める冷静な一等航海士スターバック、常にパイプを離さない陽気な二等航海士のスタッブ、高級船員の末席でまじめな三等航海士フラスク、銛打ちの黒人ダグーやクイークェグ、インディアンのタシテゴなど、多様な人種の乗組員はエイハブの狂気に感化され、白鯨に報復を誓う。

数年にわたる捜索の末、遂にピークォド号は日本の沖の太平洋でモビィ・ディックを発見・追跡するが、死闘の末にエイハブは白鯨に海底に引きずり込まれ、損傷したピークォド号も沈没し、乗組員の全員が死亡する。ひとりイシュメイルのみが、漂流の末に他の捕鯨船に救い上げられる。

白鯨 - Wikipedia

 

 

 

 

 1851年の出版当時、『白鯨』はかなり風変わりな小説として扱われほとんど注目を集めませんでした。

 以下、とても大雑把に文学の話をします。小説という文芸ジャンル19世紀の間を通してほとんどヨーロッパを中心に確立されました。代表者は、スタンダール(『赤と黒』)、ユゴー(『レ・ミゼラブル』)、ゲーテ(『ファウスト』)、バルザック(『人間喜劇』)、トルストイ(『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』)といった作家。

 テーマは戦争(『戦争と平和』『赤と黒』)や革命(『レ・ミゼラブル』)、富と名声(『ファウスト』)といった大きな話から、だんだんと市民生活(ゾラやの一連の小説、バルザックの『人間喜劇』)、不倫劇というかたちでの女性の社会的抑圧を描いたもの(『ボヴァリー夫人』『緋文字』『アンナ・カレーニナ』)まで次第にサイズダウンしていきます。1879年、ロシアのドストエフスキーが書いた『カラマーゾフの兄弟』が出版されます。この小説が名作言われるのは宗教とかお金、男女、親子、家族、人生にかかわるこうした19世紀の小説がとりあげてきたあらゆることの一覧図をつくったからであるというのがひとつの文学史の見方です。今回の話で重要なのは、ここにあげた小説のテーマは全部、社会問題だということです。

 

 カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

 

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

 

 

 

 19世紀の中盤に出版された『白鯨』はこうした小説とまったく異なります。あらすじを読むと怪物とみたてられた鯨とそれに立ち向かう捕鯨船員たちの冒険活劇のようですが、それはこの小説の半分ほどにすぎません。『白鯨』の特徴とは、物語をたどるのと並行して鯨に関する様々な知識が図鑑のようにデタラメな順序で披露される点にあります。たとえば「第32章 鯨学」では鯨に関する生物学的な知識が語られます。「第57章 油絵、鯨牙彫刻、木刻、鉄板彫り、石彫り、また山岳や星座などの鯨について」では鯨に関するほうぼうの社会風俗が語られます、といった具合にです。社会問題の範疇を超えて図鑑みたいになっている。悪く言えば無駄が多い。

 『バケモノの子』の主人公、九太は楓に「この本に書いてある漢字、全部教えて」と言います。そこから九太の勉強が始まり、動物図鑑や民俗学の本を漁るというやや説明くさいシーンが続きます。ちょっとくさいけれど、真っ当な『白鯨』の引用です。

 そもそも『バケモノの子』と『白鯨』とは物語自体、とてもよく似ています。以下の文は『白鯨』の冒頭です。

 

「わたしの名はイシュメイルとしておこう。何年かまえ−−はっきりといつのことかは聞かないでほしいが−−わたしの財布はほとんどからになり、陸上には何ひとつ興味をひくものはなくなったので、しばらく船で乗りまわして世界の海原を知ろうとおもった。憂鬱を払い、血行を整えるには、わたしはこの方法をとるのだ。口辺に重苦しいものを感じるとき、心の中にしめっぽい十一月の霖雨が降るとき、また、思わず棺桶屋の前に立ちどまり、道にあう葬列のあとをおいかけるようなとき、ことに憂鬱の気が私をおさえてしまって、よほど強くたたきおとしてやりたくなるようなとき、−−その時には、いよいよできるだけ早く海に行かねばならぬと考える。」(阿部知二訳)

 

 

 見る限り『白鯨』の主人公、イシュメイルも大変思いつめた様子で地上に居場所がない。九太もまた同様に人間社会に居場所をなくしてバケモノの世界に迷い込みます。ちょうどイシュメイルが海に出ていくように。『白鯨』は人間社会の中に居場所のない主人公が人跡未踏の自然の中へ踏み込んでいく物語です。そのさきになにがあるかわからない場所にいくために、手当たり次第使えそうな道具を持っていく。地図を開く。そんなふうにして必要な知識と不必要な知識がごちゃごちゃに混じったデータベースのような小説が『白鯨』です。

 『バケモノの子』のラストには再び『白鯨』が登場します。猪王善というバケモノに育てられた孤児の少年、一郎彦は自らが人間の子どもであることにコンプレックスを抱き、心に闇を宿して巨大な鯨に変形し渋谷の街を襲います。ここで心の闇として描かれるものとは見知らぬものへの恐怖心、見知らぬものを排除しようとする差別感情ではないでしょうか。バケモノになりたい一郎彦の自分も含めた人間への差別感情が心の闇を生んだのではないでしょうか。映画は少年が大人になるありふれた成長譚として描かれます。九太は熊鉄を、楓を、あるいは『白鯨』を通じて育つ。それは例の「闇」を克服し、見知らぬものと向き合う道具を手にいれる過程であるとも見えるでしょう。

『白鯨』のラスボスももちろん鯨です。それは見知らぬものがうずまく海の主として描かれます。『バケモノの子』の舞台となる現代社会では19世紀にあった人跡未踏の自然というのがかなりなくなったといっていいかもしれません。第一、渋谷には海がありません。

では、『バケモノの子』における海とはなんでしょうか。

バケモノとは誰のことでしょうか。

 

 

白鯨 上 (岩波文庫)

白鯨 上 (岩波文庫)