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飄々舎

京都で活動する創作集団・飄々舎のブログです。記事や作品を発表し、オススメの本、テレビ、舞台なども紹介していきます。メンバーはあかごひねひね、鯖ゼリー、玉木青、ひつじのあゆみ。

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「ゆゆしい音色」6:悪魔(前編) 【同人小説】

5話までのあらすじ

「人間に一番害をなすものは他の人間」

 そう言って、3ヶ月に1度のリサイタルの前日に必ず人を殺すアマチュア・ピアニスト、西村マユ。彼女は無職の夫と父親の金で買った郊外の一軒家に暮らしている。夫のフユヒコは国立大学の社会学部の大学院を卒業して本を一冊、出版するもののトラブルに見舞われてその後仕事を続けられなくなった。今は、妻の殺した屍体の処理とガールフレンドの木村濃子と過ごす以外特筆すべきことのない日々を送る無職の男だ。

 あるリサイタルの当日、フユヒコは屍体処理のための妻が前日に起こした殺人現場へ証拠の回収に向かう。現場である美術館をフユヒコが訪れるとすでに警察が捜査を開始しており、彼は証拠の回収に失敗する。しかし、偶然にも自分の初恋相手であったその事件の担当刑事、奏江みきとフユヒコは再会する。

 マユと同じ音大に通う羽生というプロのヴァイオリン奏者は、定期試験のための伴奏者を探しているうちに、藤本という半年前にその大学を退職したピアニストに出会う。藤本にマユの演奏について聞かされた羽生は、彼女のリサイタルを訪れ衝撃を受け、マユに接触をはかる。

 

(1~5話も数分で読めます。 記事はこちらでまとめていきます)

--------------「ゆゆしい音色」6:悪魔(前編)---------------

 「2171年、アメリカ合衆国が滅亡する。

 2070年、合衆国は国内の資産40%を国民の0.01%が独占する超格差資本主義社会に転じていた。その内訳は中国系、インド系、WASP層が占める。同時に人口の90%を占めるようになっていた貧しい中国系とヒスパニック系の不満は爆発。2084年パレスチナ自治区に対するイスラエルの容赦ない殲滅作戦が再び本格化すると、国際世論のイスラエル糾弾に歯止めがきかなくなる。合衆国内の貧困層を中心に過激化した反ユダヤ主義の暴動は社会問題となり、それは史上初めて黒人とアジア人がユダヤ人を社会的に迫害した歴史的事件を導くこととなる。2171年、21世紀末の大混乱を経て統制を失った政府につきつけられたリュクセンブルク宣言が事実上の死亡宣告書となり、広大な合衆国の全土が国連常任理事国の委任統治領となる。

 合衆国の衰退にEUを中心としたユーラシアの再編成が並行してすすめられた。2130年までにトルコ、イラン、エジプト、シリア、イスラエル、サウジアラビアがEUに加盟。元来、石油以外にも水産資源の豊富な中東から地中海にまたがる地域で、競争と発展を第一としない資本主義諸国による新たな社会共同体が模索されはじめるようになると、この場所がアメリカに変わる世界文化・経済の中心地と目されるようになった。」

 

 『適正人口』には二つの版があった。一つ目はフユヒコが博士論文を少し手直ししただけの学術書だ。これは二つ目の版の冒頭である。

 最初の版について。フユヒコの研究は、特定地域の人口統計資料その他の推移に一定のパターンを見出すことを目的とするものだった。彼の研究グループでは、5年で32カ国、1700の都市に関する統計資料を収集・分析してきた。その中で、一定水準以上の工業化、情報インフラの整備が進んだ地域では人口増加に伴いGDPの減少がみられるということが判明した。人口とGDPに相関関係があるとする説はそれまでも珍しいものではなかったが、彼の調査は一定の文化水準をクリアした社会で人口減少が地域の生産力向上を促すことを明らかにした。彼の論文は、人間もまた、レミングや一部のバッタのように一定の個体数を超えると子の増加が種全体の存続を妨げるようになるという結論を導こうとしていた。個体数の増加に伴う悪影響はまだまだ見つかる。調査対象の地域のうちその30%では人口増加に伴う幼児死亡率の増加、70%の地域では識字率及び学力検査の平均値の低下、50%の地域では治安・公衆衛生の悪化という結果も確認された。流行りの経済本が同時期に堕胎の合法化と、治安維持の相関関係を明るみに出したこともまた彼の研究を後押しした。

 彼の師匠にあたる蒔岡教授は、そのまた師匠にあたるフランスの社会学者の理論を援用しながら家族制度に関する歴史学的な研究を行っていた。教授は著書の中でその地域の家族制度と統治機構とが歴史的に示すイデオロギーに一定の関係があるという学説を推し進めた。そして、社会状況が治安や経済成長の面で不安定化すると国民の政治傾向が保守化していくという議論を厳密化した。彼の論によれば、政治の保守化とは当該地域の家族的特性がより色濃くなっていく現象のことだった。

 フユヒコの著した論文に政治傾向に関する記述はみられず、ただ統計資料の羅列に終わる。しかし彼には彼なりの志向がきちんとあった。

 フユヒコはラディカルな左翼の個人主義者だった。

 現代政治を競争的民主主義によって成立した一部のエリートが支配する階級社会であるとみなし、選挙に当選するのは専門の選挙戦術を極めた政治家、制度を決定するのはその専門の法律を極めた官僚、政治の担い手は指導者でも識者でもなくただその道の専門家にすぎないという考えを彼は支持した。彼によると、現代社会にはホワイトカラーが存在しない。エリートやクリエイターもまた複雑な現代社会の中で目の前の仕事を機械的にこなすだけの職人であるというのが彼の主張だった。

 彼の理想とする政治組織はノージック1の唱えた労働に自由を優先する最小規模の政府と、多種多様な個人が結論の出ない会議を延々と行うことで平和を約束する熟慮型の直接民主主義だった。その理想社会の中では貧困、エネルギー問題、食糧危機、環境破壊、その他人間を競争と暴力に駆り立てるさまざまな社会矛盾は人口減少によって解決される。同時に高度な人工知能をはじめとするデジタル・インフラが整った社会では労働のほとんどが機械化され、人間の抱える問題がほとんど精神的な事柄に限られてくる。発展と競争を求めるマッチョな経済体系は互いの共存を最優先する小規模均衡経済に取って代わられ、人々は理知的な分析を通じて自身を表現することを通じて、宗教や国民性といった事柄を瑣末な問題と捉えるようになる。

 そして、社会的な問題が解決されてはじめて人類が真に憂慮すべき問題が浮上し始めると彼は主張する。それは、地震や竜巻といった自然災害、地球全体の周期的な寒冷化や温暖化といった気候変動、惑星そして太陽系の寿命、人間という種の外側からやってくる問題だ。一方で彼は、こうした問題への対応策に関しての議論では、人口さえ減れば人類が避難するための土地はしばらく有り余っているのだから、政治や個人の利害が対立する余地は少ないと楽観視、または人類を過大評価した。

 教育制度に関して、彼は現代の教育は階級闘争の道具にされていると考えた。将来的に人口が減るのであれば、個々の子どもの特性に合わせたより手厚い教育が実施できるようになる。子どもの教育はその子自身が自分の精神的・身体的特性と向き合うためのプロセスであり、教育現場とは決してグローバル・キャピタリズムの競走馬のための養成所でも言われた仕事を正確にこなすマシーンをつくる工場でもない。彼にとっての教育は、個々人が自分の生まれた環境の初期条件、国、人種、性別、世代、外見その他さまざまなアイデンティティを自覚することでそこから社会的にも、精神的にも自由になるプロセスとされた。

 しかし、そんなことは少しも論文の中には書かれなかった。書いたら審査には通らない。

フユヒコはラディカルな思想こそ持っていたものの人目をはばかるくらいの良識はあったので審査を通るために極力穏便な書き方を望んでいた。

 ただ一行を除いて。

 彼はこの論文の最終段に人類全体が望ましい人口分布にいたる可能性として「天災によるランダムかつ急激な人口減少」に言及していた。

 

 彼の論文を最初に発見した学外の人間は有下玄李(ありした くろり)というふざけた名前の推理小説家だった。この男は`00年代の末まで土曜の夜に放送されていたバラエティ番組『ちぎっちゃなげて』の放送作家を務めていた。`08年の1月に番組MCをしていた芸人が休暇中にミャンマーで少女売春に手を染めたことで現地で拘留され日本に帰国できなくなり、番組ごと打ち切りになった。職にあぶれた有下はハードボイルド探偵小説『ブチ猫チャンドラー』シリーズの著者として一躍ベストセラー作家に。同時に浅草でワンマンライブを催してピン芸人の仕事を始めた。

 父が東京郊外の公立大学に勤める著名な社会学者であったことから幼少時よりアガデミズムに憧れとコンプレックスを抱えていた彼は、放送作家時代からネタに困るとGoogle検索で若手研究者の奇妙な論文を漁っていた。学術論文専用の検索サイトには、アイドルの生理周期を調べる東大生や、渋谷でギャルをストーキングする文化人類学者など、まだ世間的に手垢の付いていない奇妙なアイディアがごろごろ転がっている。検索ワードは「世界滅亡 大量虐殺」。彼はフユヒコの論文を見つける。SF的な理想国家、劇的な人口削減、幼稚な破滅願望……。有下はこの男を探し出してコンタクトをとることに決めた。

 

*******

 

 有下という作家の名前を聞いたことはあったが、フユヒコは彼にあまりいい印象は持っていなかった。彼に指定されたM市内のホテル、ロイヤル・スイート、666号室の扉を開けるとむわっとラズベリー、ブルーベリー、シトラス、チョコレート、ムスク、ジャスミン、それからシャンプーと香水となんだか目眩のする鼻に覚えのない薬品の香りが部屋じゅうに立ちこめほのかに紫色の煙が漂う。全部で5部屋はあろうかという客室。奥のバスルームから水害のように狂った量の泡がこぼれ出してくる。よくみるとダイニングから奥のベッドルームまでところどころ大きな泡の塊がレイアウトされており、嬌声を発して水色のビキニを着た、濡れて崩れた化粧で目の下が真っ黒になったおっぱいの大きな女がこちらに走ってくる。僕の顔を見つけた女がスナックのママみたいながらがら声で「あ、」それからくるっと回転、バスルームに向かって「先生、先生が来たよー」と、球みたいにまん丸のおっぱいをゆらしながらもどっていく。次の瞬間、ウィーンと音を立てて部屋中のカーテンが閉まり、フェードで入るがやがて大きな音になるゲームセンターでかかっているようなハウス・ミュージックが流れて、黄色いゴム製の縁がついたショッキングピンク、エナメル製の消防士コートに巨大なゴーグルを身につけた小柄な髭面の男が現れる。

 ヘルメットにはなぜか二本のツノ。

 自動小銃そっくりな豹柄の水鉄砲を背中にぶら下げ、さっきの女と見分けのつかない今度は黄色のビキニをつけた女をお嬢様だっこしてバスルームの入り口に仁王立ち。どこにそんなのがあったのかミラーボールがくるくると回り始め有下を照らし出す。草むらから跳ね上がるガゼルみたいにさっきの水色ビキニがバロック趣味の貝殻みたいなソファの後ろからぴょんと飛び出すと有下はどさっと黄色いビキニのほうを床に落として銃を担ぐ。黄色ビキニのほうは180度回転して猫みたいにうまく床に膝をつき、四つん這いのまま有下の裾にすがる。有下が背中に担いでいた銃を構えると水色ビキニめがけて放射、ミラーボールに照らし出され、水鉄砲が描く銀色の放物線が女を仕留める。その瞬間、左胸を隠していた水色のビキニがはらり。さっきからかかっていた大音量の曲がPerfumeの「レーザービーム」だと気づく。有下、満面の笑み。一連の光景に面食らっている僕のほうを見て、

「先生? 西村フユヒコ先生だよね? 待ってたよ」

 有下は作業部屋を用意していた。

 リモコン操作でベッドルームの向こうの壁が開いて、6つ目の部屋があらわれる。南向きの作業部屋、MacBook Proと椅子と机の高さが調節できる勉強机、東急ハンズの売り場の棚ひとつ分くらいの文房具。

 フユヒコには自分の思っている奔放な思想を文章化するチャンスが与えられた。フユヒコと有下のディスカッションが始まる。偏狭だが競争を望まない穏やかなフユヒコの性格は煩悩まみれの有下とは馴染まない。本来ならフユヒコの望むような社会が実現すれば有下のようなドブ板の営業力だけで生きているような守銭奴は居心地が悪くなるはずだ。髭面の男はフユヒコの耳元でこう囁く。

「そうじゃないだろ。あんた、話せばわかるなんて本気で思ってんの? 同じことが中国人とかメキシコ人の前で言えるか? それどころか大半の日本人があんたの言ってることわかんないよ。悪いけど、わかんないんだよ。あんたは賢いかもしんないけど、あんたと同じくらい悠長にものを考える人、この世に何人いるよ? 先生、あんた、自分を無害で大人しい草食動物かなにかだと思ってるかもしれないが、先生の言ってることはびっくりするくらい傲慢だよ。あんたは賢い学者なんかじゃなくて自分の善意を押し付けようとする身勝手で危険な社会不適合者だから。あんた、まだそれを隠してる。全部吐き出しちまいなよ。俺があんたの書いた文章、ぐっと来たのはここだけだよ、ここだけ『天災によるランダムかつ急激な人口減少』って。でも本当に言いたいことはもっとシンプルに言えるはずだ。そうだろ?」

 耳元で悪魔が囁く。

 

「人間に一番害をなすものは他の人間」

 

 契約書にサインを。

 

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