飄々舎

京都で活動する創作集団・飄々舎のブログです。記事や作品を発表し、オススメの本、テレビ、舞台なども紹介していきます。メンバーはあかごひねひね、鯖ゼリー、玉木青、ひつじのあゆみ。

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「ゆゆしい音色」8:指さすほうへ【同人小説】

 6月13日。

 M警察署で一番小さな会議室。折りたたみ式の机が縦に3列並び、午前9時の今にも雨の降りそうな空、東側の壁の窓を遮るサッシ越しに曇り空から強めの紫外線が差し込む。ホワイトボードの前に立った甲斐という刑事はまだ40になったばかり。くるくると癖のついた髪、M字に禿げ上がった額、鼻筋は彫刻のように険しい。薄い唇、ヒゲを剃ったばかりの鋭い顎、長いまつげの下で二重の瞼がぱちぱち何度も瞬きをする。眉毛は表情の指揮官だ。万年筆で引いたみたいにくびれのある細い眉が彼の声を誘導する指揮棒みたいにぴくぴくしなる。小さな金メッキのネクタイ・ピンの左隣、ネクタイと同じ色をした赤バッジ。二本の筋が走る首はきりっと長く、捲ったブルックス・ブラザーズのシャツの袖から突き出した二本の腕にもりりしい青筋。細身だが必要な筋肉だけがしっかりとついた身体は長距離走者かボクサーを連想させる。刑事課の職員全員にお茶を運び終わった庶務課の婦警、竹下はそのまま帰ることなく奏江みきの隣に座って囁く。

竹下「甲斐さん、独身かな」

奏江「なんですか急に」

磯部「竹下さん、なんで帰らないんですか」

竹下「確かに、指輪はしてないのよ。でも仕事中ははずすって人もいるじゃない」

  その隣で、写真と固有名詞で次第に埋まっていくホワイトボードを眺める町田の顔は次第に雲っていった。

 警察はこの事件を被害者の行方不明事件として扱った。県をまたぐ広域捜査であるため事件自体は警視庁の管轄となったが警視庁からは最低限の人員−−実質、甲斐警部補一人−−が割かれ、残りはM市、そして向井の住居があるSA市の所轄の刑事が実地捜査にあたった。よく通るが決して威圧的なところのない声とキュッキュッと鳴る水性マーカー。概要は以下の通り。

 被害者は向井比呂志42歳。既婚。ホワイトボードの真ん中には青地に真っ赤なゴシック、ひらがなで彼の名前が書かれた選挙ポスター。職業は市会議員。向井は地元の工業高校卒業後クリエイター系の専門学校に入学するためM市に引っ越し、そのあとも数年ここで暮らした。原付バイクのスピード違反で捕まった履歴が署に残っていた。2年で専門学校を卒業、しばらくはステージや野外イベントの音響専門職で仕事をしていたが何年かして地元のSA市に戻っている。

 実家の父親はセメントの自営業をしていた。地元に戻ってから向井は親に勘当され隣の県で風俗嬢をしていた中学の同級生のもとに転がり込みA市のアパートでしばらくヒモ生活を送る。そのあとの十数年で向井は借金を抱え込んだ。半分は金融業者から、もう半分は地元の同級生たちから金を借りていた。中華料理屋、美容院、クリーニング、お好み焼き、洋食、喫茶、酒屋……。気がつくと地域の自営業者をしていた彼の同級生たちのほとんどはなにかしらこの男に金を貸していたりその保証人になったりしていた。そこで彼らは一銭も財産のないこの男からどうやって負債を取り立てようか話しあった。

 あるとき、向井の実家のあった地区で高齢の市議会議員が一人、膵臓がんで急死した。これをきっかけに同級生たちは口だけは達者な向井を補欠選挙の候補に担ぎあげることを思いつく。向井の才能は政治家というよりも役者か詐欺師だった。声が大きく、深く悩むというところがない。顔はよくないが愛嬌があり責任感こそないが自分の思っていることは自信たっぷりに話す。地元で税理士をしていた同級生がゴーストライターをして演説原稿を仕上げ、ふりがなをふって向井に読ませると駅前演説は瞬く間に人を集め、35歳という若さもあって2番目の候補に200票差で当選を果たした。

 1期目の彼の全収入の半分は借金返済に充てられた。市議会議員といっても会社員のように毎日決まった仕事があるわけではない。同級生たちは向井がまた元の生活に戻ってしまわないよう監視をつける必要があった。そこで債権者たちは再び集まり、向井の見合いの準備をはじめた。

 A市の市役所で当時人事課に務めていた向井の同級生がおり、その叔父も当時市役所に務めて副市長をしていた。副市長の妻の年の離れた妹に、夫が浮気相手と駆け落ちして娘まで相手に連れていたかれたため、精神を患って姉の世話を受けて生活している女がいた。彼女の離婚が向井の当選の1年半くらい前。見合いとは言わないまでも話し相手になってくれないかというところから縁談がはじまり、半年後に結婚した。5年後に彼女の元の夫が亡くなり、夫のほうに引き取られていた娘も母親が引き取ることになる。以来、向井はこの妻と、その妻の連れ子と暮らしていた。

 ホワイトボードの上にはその二人の写真も貼られている。千恵という名前の目が小さく面長で生気のない顔をした母親。対してめぐみという名前の娘は母親と似ても似つかない人目をひく顔をしている。醜いと言えば醜く美しいと言えば美しい。頭の後ろで豊かな黒髪をツインテールにしているせいもあって左右に盛り上がった髪がかぼちゃのようなかたちをしている。まんまるとした大きな団子鼻、目と口とは大きく横に裂け、そこから覗いた瞳や舌には相手を侮るようなあそびがあり、こちらを見透かし蔑むように冷たい。

 町田はこれらの情報で埋め尽くされたホワイトボードに表情を歪めた。A市で所轄の警官が甲斐の手となり足となり馬車馬の如く走らされた様子がありありと浮かんでくる。

町田「じゃあ、奏江警部補。M市での捜査報告をお願いします」

奏江「はい。聞き取り調査の結果、向井がM市を訪問していた理由に目星をつけることができました。彼が行方不明になった当日、向井と接触した人物が見つかりました。M市市役所の秘書・広報課に勤める女性です。女性は3年前、当時のM市市長が主催した地方自治体の交流シンポジウムにSA市から同区選出の県会議員に伴って出席した際、イベント後の交流会で向井と知りあい、そのときに仕事用の携帯電話の番号を教えると向井のほうから彼女にたびたび連絡があったようです。何度かA市まで押しかけてきて食事に誘うこともあった。6月9日、彼女は子どもを連れて電車に乗っていたところ向井と偶然出くわしたそうです。向井はそのあとJRM駅でなにかを思い出したようにそそくさと下車。そのときに、一緒に下車した女が彼のあとをつけていったように見えたと女は供述しています」

町田「『見えた』じゃ、弱いな」

奏江「はい。続いてこちらをご覧ください」

 みきは部屋の明かりを消して、ホワイトボードの前にスクリーンを垂らしプロジェクターを起動した。スクリーンに美術館エントランスの自動ドアを通る人間が映る。そこを向井と思われる長身でやや肥満した額の禿げ上がった顔の細長い男が早足で歩いていく。それからしばらく映像が途切れる。ほんの数秒、画面は真っ白になりノイズが入る。そしてまたさっきと同じようにエントランスを映し始める。映像を早送りして流しているため、向井が通ってから約3分後の7秒程度だ。

磯部「なんすか、これ?」

甲斐「外から光を当ててますね。監視カメラに意図的に映らないように細工をしている」

磯部「じゃあ犯人がこれを?」

町田「まだそこまではいけないな」

甲斐「奏江さん、続けて」

奏江「こちらは、美術館警備員から入手した監視カメラ映像で、事件当日1715分ごろの美術館のエントランスを映しています。こちらに注目してください」

 映像はノイズの入る直前まで巻き戻され、停止され、画面上方に人間の左脚、膝から下が踏み込んだようなものが見える。画面はその足をクローズアップする。

奏江「ご覧のようにこの映像では外から監視カメラに一時的に人が映らないように細工されております。今、ご覧いただいている部分はその細工をした可能性が一番高い人物の唯一確認できる部分です。映像解析に回したところ、足の形状から女性である可能性が高いとされました。また黒いタイツとその下に少し見えるリボンのようなものとわずかな靴の断片からエナメル製のミュールではないかと報告を受けています。また先程の女性にもこの映像を見ていただき、向井のあとを追いかけていくように見えた女が厚着をしていたとの裏もとりました。現在、美術館、バスの停留所、JRM駅周辺、私鉄との乗換え通路と百貨店の入口付近で向井および彼と同行していたと思われるこの女の目撃情報を聞き込んでいます。質問がなければ以上で報告を終わりたいと思います」

大足「奏江警部補、美術館の警備員への聞き込みに関してはなにかありませんか」

奏江「特に有益な情報は得られませんでした」

 

 611日。

 パープル・ヴィレッジと呼ばれるM市有数の住宅街、南側の入り口から西に向かって住宅地域の外周に沿って半周くらいしたあたりにこぢんまりとした二階建ての一軒家、窓はどこもカーテンが閉められ、玄関には茶色い折りたたみ式の玄関柵。その奥に三菱製、シルバーのトッポBJが停まっている。郵便ポストにはシール、明朝体で「水嶋」と書かれている。柵の前まで来て大足は、

「向こうでコーヒーでも飲んでるから、終わったら電話してくれよ」

奏江「え? 私一人でいくんですか? 紹介してくださいよ」

大足「お前が来たいっていうから一応来ただけだよ。ほら、俺がいないほうが話が早いから」

奏江「そんな」

 180センチ90キロの巨体をもじもじ動かしながら大足はもと来た道をまた戻っていった。

 玄関チャイムを押しても返事はなく、立付けの悪いアルミ製の引き戸を開けるとランニングシューズがひとつ置かれただけの寂しい玄関、真っ暗で狭い廊下、向かって左手の階段から降りてきた男と目が合う。水嶋は水色の作業着を着て足の裏が真っ黒になった白いハイソックスを履いた逆三角形の輪郭をした目の細い男だった。笑うと歯並びの悪い前歯が覗く。長い前髪が雑にまとめられたポンパドゥールみたいに突き出ていて、頭頂部は地肌が覗くくらい禿げ上がっていてる。それで、斜め上から見下ろすと燕の巣みたいなかたちをしている。「奏江さん?」と聞く声は少し高くてかすれている。

奏江「はい」

水嶋「いいよ、あがって」

 通された奥の部屋はフローリングに黒いフェイクファーのカーペットと真っ黒な三人がけのソファ、マホガニー製のテレビ台の上に25インチの液晶テレビ。それから反対側の壁に面した作業机の上にはパソコンのディスプレイ、3種類のキーボードと2台のハード、通信装置やルーターをはじめとした各種配線がずらりと並ぶ。真っ暗な部屋の中で墨汁のように黒々とした煎れたてのコーヒーが運ばれてくるがテーブルがないので置く場所がない。

水嶋「コーヒーでよかった?」

奏江「ありがとうございます。大足もすぐそこまで来てたんですけど、なんか直前で帰っちゃって」

水嶋「ああいいよ。俺も別に会いたくねぇし。監視カメラのやつだよね。そこに準備してあるから持って行って」

奏江「ありがとうございます。今日は事件当日のことも少しお聞きできたらと思ってきたんです……」

水嶋「ああ、大体あの磯部って人に喋ったから。それに俺、ちゃんと仕事できてねぇもん。悪いけど多分なんか見逃してるかもしんねぇし、俺の情報はあてにならんから。だいたい事件のこと知ったのも次の日のニュースだしさ。まあ警察OBだからって今の仕事紹介してもらったけど向いてねぇの」

奏江「それでもなにか思い出すこともあるかもしれませんし、少しだけ質問してもいいですか?」

水嶋「うーん。携帯かパソコンでも見つかったら持ってきてよ。絶対役に立つから。タバコ吸っていい?」そう言って水嶋は窓際によって頭の上あたりにある小窓を開け、

奏江「許可がとれればお願いしたいところですが。カーテン、開けないんですね」

水嶋「ほら日光浴びると、頭痛くなっちゃって。ならない? 許可なんか出ないよ。オフレコのお願いだって。っていうか俺がなんでクビになったか聞いてないの?」

奏江「自主退職と聞いてます」

水嶋「俺さ、警視庁に勤めてたの。サイバー犯罪専門で。現場捜査と連携するときに大足と組んでたんだけど一回、犯人がシンガポールに逃げちゃったことがあって。そこで捜査打ち切りになるはずだったんだけど、追跡するために防衛庁までハッキングして45分間サーバーダウンさせたの。携帯貸して」

 水嶋はボイスレコーダー用に準備されていたみきのスマートフォンをさっと奪うとなにかを手早く打ち込んだ。

水嶋「俺の連絡先、入れておいたからいつでも連絡してきてよ」

 

 会議室を出て廊下を歩く、大足のもとにみきは直行した。

奏江「なんですか、さっきの質問。まじめにやってくださいよ」

大足「あいつになんか言われたか?」

奏江「そんなに気になるんなら自分で行ってください」

大足「そうか。飯、いくぞ。腹減った」

奏江「遠慮します。お弁当、持ってきてるんで」