飄々舎

京都で活動する創作集団・飄々舎のブログです。記事や作品を発表し、オススメの本、テレビ、舞台なども紹介していきます。メンバーはあかごひねひね、鯖ゼリー、玉木青、ひつじのあゆみ。

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ゆゆしい音色12:時には運のない娘のように 【同人小説】

 酒のせいで首筋から耳の周りがずきんずきんと痛む中、昨日妻が連れてきた男の処理をはじめる。いつものように彼女が頚椎の一部分を骨折させたことによって男は窒息している。めずらしく今回、他の外傷はほとんど見られない。新品らしいナイキのランニング・シューズに、半ズボン、発汗性のメッシュの入ったアンダーシャツ、身長は190センチ以上あり、筋肉質で体重はおそらく90キロ以上。僕の力では解体せずに持ち運ぶことは不可能。財布の中身を確認してみるとほとんど空っぽ。見慣れぬ言語で書かれた身分証と小銭のみ。ランニング途中の外国人か。若いから留学生かもしれない。

 

 濃子とは一度だけ四国のMN市まで日帰りで旅行に行ったことがあった。彼女によると、現在実用目的では行われていないアナログなやり方での屠殺のワークショップが一応観光客向けというていで催されており、あまりおおっぴらに宣伝されているわけではないが畜産や獣医学系の業界ではたびたび噂になる場所ということだった。

 整理券を受け取って比較的新しいバラック小屋の裏、丸太で囲まれた100m四方の広場に入っていくと、広場の真ん中部分はさらにまた黄色いプラスチック製の鎖で円形に区切られており僕らの他に20人くらいの客が詰めかけている。鎖で囲まれた中心部分にビニールシートが敷かれ、作業員二人がそこに豚を横たえる。片方が豚の左前足に、もう片方が右後ろ足にロープをつなぎ、両端に引っ張って丸太にしばると動けなくなった豚が左半身を下にして干草の上に寝転がり地面の下から湧き上がるような低いうめき声をあげる。豚の前足をしばったほうの飼育員がナイフを取り出す。刃渡は30センチくらい、正規の許可が必要な大きさだろう。豚の喉元にナイフが突き刺される。それを囲んだ人だかりの中で誰かが短い悲鳴をあげる。ナイフはそのまま奥へと差し込まれ心臓に達し豚の息の根が止まるのを待つ。作業員がナイフを抜いてすっと横にずれると喉元あたりに半円形の切れ込みが入っていて、そこから暗い紫色の血が鮮やかに吹き出す。豚がまた強く声をあげると、僕らを囲むバラックの向こうから別の小屋に入れられた豚たちの共鳴する声が聞こえる。いつ降り出してもおかしくないくらい曇った太陽の見えない日だったが、豚の下に出来上がっていく血溜まりの濃さははっきりと見て取れた。首元からどくどくと流れ続ける。血液はすぐにその周囲に円形の影のない地面をつくりだす。動かなくなってから豚を血溜まりから引き離しビニールシートを剥がす。今度は豚を地面の上に横たえ、作業員がガスバーナーを持ってきて低空飛行するヘリコプターみたいに豚の表面を炙り始める。つま先と鼻はとりわけ念入りに熱が加えられ、ぽろんと地面に落ちる。今度は若い作業員が3人追加で入ってきて、金具の付いた分厚い木の板のようなものを組み立て始める。できあがると地上1mくらいのところで前後軸を水平方向に固定して解体作業が始まる。最初の二人の作業員だけが残って、二人とも先ほどの大きなナイフを取り出し豚の背骨に沿って切れ込みを入れる。甲冑を脱ぐみたいに豚の背骨から脂肪のかたまりが外される。それからナイフの突き刺さった痕がくっきりと残った心臓が出てくる。濃子が横でうっとりとした表情でため息を漏らす。続いて背骨が外され強烈な色をした胆汁、色の濃いものから肝臓、腎臓、そして白っぽいものへ、肺、横隔膜、胃、小腸、大腸、膵臓と順番に内臓が取り除かれていく。今回は雌の豚だったようでぐにゃぐにゃに丸まった子宮を拝むこともできた。最後に長いひも状の脾臓が出てくる。制服を着た職員の女性が回ってきて、先ほどバーナーで炙って落とした蹄と鼻の先端に申し訳程度の味付けをしたものを発砲スチロールに載せて一つずつに爪楊枝を刺し、僕らに振る舞いはじめる。こりこりとして軟骨の唐揚げみたいな食感がした。

 思い出に浸りながら作業を続けていると夜中にはじめた死体処理は、正午までには片付きそうだった。作業を終えると、井村さんのもとにそれを運んだ。濃子はいなかった。食事をすませてから帰宅し、シャワーを浴びてすぐに眠ってしまったので、僕はそのニュースのことを翌朝まで知らなかった。

 

「河原に19歳女性の遺体 交際中の男性を捜索

 

 27日午前5時頃、TMM区、P大橋近くのQ川河川敷で女性の遺体が発見された。T県警によると女性の身元は、S県の大学校に通う学生、木村濃子さん(19)と見られ、遺体は衣服を身につけておらず、透明なビニールのようなもので包まれていたとされる。司法解剖の結果、死因は窒息死とみられている。

 

 警察は現在、行方がわからなくなっている彼女と交際中であった男性の行方を捜索している。

 

 現場に争った形跡はなく、遺体は河川敷でも舗道に面した比較的人の通りやすいところに置かれていたことから、別の場所で殺害され、26日から27日にかけての深夜のうちに運び込まれたとみて詳しく捜査にあたっている。」

 

 その日は夜の間に短い雨が降った。警察はビニールがまったく濡れていなかったことから遺体が運び込まれたのがごく早朝であり、発見のほんの数分前ではないかと判断した。7月の下旬であったが遺体はよく冷えており、少しも腐敗した箇所は見当たらなかった。しかしこの保存状況のせいで彼女の死亡推定時刻を確定しにくくなった。彼女は発見の数分前まで生きていたかもしれないし、もしくはもっとずっと前に殺されて食肉用の巨大な冷蔵庫のような場所で保存されていたかもしれない。

 濃子の遺体を最初に発見したのは早朝にランニングをしていた渡良瀬という40代のデザイナーだった。Q川と隣のB大通りに挟まれた路地にある一軒家に妻と中学生の二人の娘と暮らす、こうした事件にはおよそ関わりのないプチブルだ。彼のランニングコースはM市北側の山道へとつながるW電鉄Y駅近くから河川敷に下り、東西にM市市街地を横切るK通りまで南下したあとS大橋を西側に渡ってまた河川敷に降り北上、再びP大橋を渡って自宅に戻るというものだった。Y駅近く、河川敷に降りたところP大橋の橋下、コンクリートでできた橋の付け根部分の影になった草叢に渡良瀬は青白い光を発見した。まだ空は薄暗く、山際が白み出したくらいで3メートルもむこうになればなにがあるのかはっきりと見えないような時間帯、きっと誰かが携帯電話を落としていって着信に反応してそれが光っているくらいのことだと思い、彼はその光をまったく気に留めなかった。だから光の下にまた別のものがあるとわかったとき、彼はびくっと道の反対側にのけぞった。それは女だった。一筋、二筋しかシワのないビニールの入れ物に冷凍肉のように密閉された女は衣服を一切身につけておらず、川側のほうに足を向け、左腋を通行人にさらすようにして寝転がっていた。少しだけ体をひねったその態勢は回転運動を連想させ、寝そべっていながら彼女はどこかから落下しているようにも見えた。掲げられた左手の中にLEDの青い光を放つ小さな懐中電灯が握られていた。光色が冷たいせいもあって、石膏像のように真っ白な身体に生気はなく、死体というよりもまつげの一本一本まで精巧に彫られた彫刻のようにも見えた。渡良瀬が「大丈夫ですか」と二度、三度、一応という感じで声をかけてみても返事はなく、ビニールを開けて彼女を中から出すのが良いか警察を呼ぶのが良いか逡巡し、どうするか決まるとすぐに来た道を戻り、河川敷からあがって交番勤務の巡査に事情を伝え、彼を現場まで同行させ彼女の死亡を確認した。

 T県警、M警察署刑事課の町田、大足、奏江、大足が現場に到着したのは午前8時を回っていた。町田はげっそりと痩せ、目の下に青い隈をつくり、首の裏側を摩る。

磯部「部長、起きてください」

町田「ずっと起きてるよ」

磯部「嘘だ。今、目、瞑ってたでしょ」

町田「瞑ってないわ。元々このくらいの大きさだ。毎日会ってるだろ」

大足「町田さんの目、つぶらですもんね」

奏江「昨日の今日ですから。やっと本庁の刑事がいなくなったと思ったら、もう明日には県警の人たち来ますよね。そうしたら捜査本部、すぐ設置して」

町田「明日じゃなくてもう今日、来るよ」

奏江「部長のこと、一番こき使ってましたね、甲斐さん」

町田「はあ……。お前、あと部長じゃなくて課長な」

磯部「え? 奏江さん、ついて歩いてたじゃないですか『甲斐さん、甲斐さん』って」

大足「鼻の下、伸ばして」

奏江「伸ばしてません!」

磯部「大足さん、嫉妬ですか?」

町田「被害者の身元は?」

鑑識「木村濃子さん(19)。市内のアパートで一人暮らし。Q市の畜産大学校に通う学生ですね。父親はM市内の飲食店経営者で、家族は他に3歳年上の姉がいるようですが2年前に結婚しています」

町田「よく短時間で割り出せましたね。物盗りか。木村か……お父さんの名前は?」

鑑識「ちょっと待ってください……。木村正竹です」

町田「はいはい」

大足「町田さん。お知り合いですか?」

町田「土地持ちだよ、地元の。元々一家で地元の土地をたくさん保有してて今は親戚中で分けて使ってる」

磯部「じゃあ、ソタイの案件ですか?」

町田「いや、そういうのとはちょっとちがう」

鑑識「所持品はLEDの懐中電灯ひとつのみ。衣服もなにも身につけていない状態で、ビニールに包まれていたので殺された状況の特定には時間がかかりそうですね」

町田「通り魔でここまでやらんだろう。目撃者は?」

大足「今のところ、見つかってません」

磯部「美人だったんですよね」

鑑識「はい。しかも全裸でした」

磯部「おおー!」

奏江「不謹慎」

町田「県警の人が来る前に交友関係から洗っていこうか」

奏江「死因はなんだったんですか?」

鑑識「窒息死です。首のあたりになにか細い棒状のもので押された後があり、頚椎を一部損傷していました」

 

*** *** ***

 

 27日、22時。僕はみどりさんからの電話の着信音で目が覚めた。

「もしもし、フユヒコくん?」

「どうしました?」

「テレビを点けてみて」

 彼女に指定された局の番組にチャンネルを回すとニュースがかかっていた。僕はそこではじめて濃子のことを知った。しばらく言葉が出てこなくて腹の底から体が冷えていくのを感じた。気がつくとがたがた震えていた。

「フユヒコくん? 点けた? 聞いてる?」

 どうしてみどりさんが僕に濃子のことを知らせるのだろう。北村家の人間は基本的には僕と彼女のことをなにも知らないはずだ。

「社長がね。あなたにこれだけを伝えてって言ってきたの」

「……社長は他になにか?」

「見ればわかるって」

「……社長とお会いして話すことはできませんか」

「できたら自分で電話してると思うわ。どうして今、あなたにこんな電話をしているのか、詳しいことは私も知らないの。ねぇ、その女の子、知ってる子なの?」僕は答えなかった。

「社長は僕にどうしてほしいんでしょう。なにを要求していらっしゃるのでしょう?」

「ごめんなさい。私はただ、この時間にあなたにテレビを点けさせるように伝えるよう、言われただけなの。変な仕事よ。あとはたいしたことはなにも。『来月のリサイタルはよろしく頼むよ』ってだけ」

 そこで僕は電話を切った。すぐにパソコンを立ち上げ、インターネットにつないで濃子の事件について調べ始めた。僕には情報が必要だった。動画サイトで彼女に関するニュース映像を開いて見ていると関連動画に四国の養豚場の飼育映像、そして宮下雅秋のピアノリサイタル録画映像、ストラヴィンスキーの春の祭典を編曲したものがあがってきた。これらが「関連」動画だと誰かが知っていて並べたみたいだった。