飄々舎

京都で活動する創作集団・飄々舎のブログです。記事や作品を発表し、オススメの本、テレビ、舞台なども紹介していきます。メンバーはあかごひねひね、鯖ゼリー、玉木青、ひつじのあゆみ。

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ゆゆしい音色15:お祭り 後編【同人小説】

 8月6日、2030分。

 僕ら夫婦は隣に座った人の声も聞こえない音量で音楽の流れる店で3人のおじさんと酒を飲んでいる。

 

 妻の重厚な演奏が終わったあと客席は一晩中走り続けたマラソンランナーみたいにどっと疲れきっていたが、信じられないことに実際の時間は1時間しか経過していなかった。ほとんど倉庫みたいな楽屋から裏口を出て、義父たちの一団と合流することになっている。みどりさんの誘導で僕とマユ、誠一の連れてきた三人の男が黒いレクサスに乗り込む。運転席と助手席には僕の3人分くらいの厚みがある胸板の男が乗っていて、どうやら誰かのボディガードらしかった。誠一はあとから合流すると言って車に乗らずに僕らの前からみどりさんと姿を消した。店の表にまわって人ごみにまぎれようとする彼に向かって妻は見たこともないような殺気を発した。

 僕らと同乗したおっさんの一人、真っ白なスーツを着た身長190センチはあるかと思われる男はフェンという中国人の実業家だった。どうもパチンコ店とホテル業の経営者らしいのだが、最近外資系流通大手の日本国内宅配倉庫フランチャイズ権を買い取ったらしくこれで一気に事業規模を拡大できると意気揚々。誠一のことを「せいちゃん」と呼び、スーパー・キタムラとの提携話をしながら、携帯電話で撮ったジャッキー・チェンやファン・ビンビン、アテネ五輪で銀メダルを獲った中国人アーチェリー選手やジャック・マーとのツーショット写真を何度も僕らに見せて自慢した。フェンは片言の日本語で陽気に喋り続けたが日本にはもう40年以上住んでいるらしいので僕より日本語がうまくてもおかしくないはずだ。花火大会で封鎖されているはずの橋も交通規制をしている警官にフェンの顔を見せれば一発で渡らせてもらえた。

 フェンにヤナさん、ヤナさんと言って肩をぼんぼん叩かれる丸々とした175センチくらいの身長の鼻のつぶれた中年男はこの中国人と「とても親しい」地元の公務員ということだった。60近い年齢に見えたが、ただの太鼓持ちのようで相槌以外はほとんど口を開かなかった。みきちゃんの言うことを信じればこの男がM市警の副署長ということになる。そしてもう一人の木村とよばれる男はさらに一層口を開かなかった。木村は代々、家族の土地を受け継ぐ農家で、彼の祖父にあたる戦後直後の代からは自分で土地を買い取って地主になった。今はその土地のひとつで珈琲店を経営しているらしい。フェンと誠一が共同出資して建てようとしているモールの予定地のど真ん中にこの男の珈琲店と農場があった。

 花火大会の人ごみを避けて裏通りを抜け、海沿いにあるフェン行きつけの会員制クラブに到着する。外見は地下駐車場を備えたコテージハウスのようだ。それまでもそのあとも延々とフェンは喋り続けていたが、音楽が聞こえるようになってからはまったく彼の話は聞こえなくて聞かなくてもよくなった。店の中の客は外国人がほとんどで、店員は黒とかグレーだが露出の多い制服を着たベトナムだかフィリピンだかの若い女が多かった。カウンター席では真っ赤なパーカーを着た30代前半くらいで、額が満月のように禿げ上がったアメリカ人が韓国人らしき女の子を口説いている。こんな店には僕よりも有下のほうがふさわしいだろうに、なんで彼は帰ってしまったんだろうと、考えていた。

 ラウンジの壁一面を覆うガラスの向こうには海が広がり、入り江の反対側から打ち上げられる予定の今日の花火がよく見えるらしい。20時半を過ぎた頃、花火の開始時刻が遅れていると隣の席のシンガポール人のカップルが話していた。フェンが妻の太ももを何度も触ろうと手を伸ばし「その眼、どうしたの」とか「いい整形外科、知ってる」とか言ってるのが断片的に聴こえてくるので、僕は「勘弁してくださいよ」と口をぱくぱく動かしながら彼女の代わりにその手を拒みつづけた。どちらかといえば、マユがこの場でフェンを殺してしまうんじゃないかとそのほうが怖かった。5分遅れで花火がはじまった。グラスが震えるほど轟音が響いた。次から次へと今日は耳に悪い日だと思ったけれど、空に打ち上がって音とともにはじけるそれ自体にやはり特別な感動があるのか、一瞬輝くだけでも火を見つめることに身体の中の熱が喜んでいるのか、まわりの人間の熱気にただ流されているだけなのか沸々と内側に湧き上がるものがあった。熱を帯びたせいで自分の身体の大きさが手に取るように正確に感じられた。そして、濃子の顔ばかりが急に頭の中に浮かびあがり、もう彼女には二度と会えないんだ、彼女はとても不幸な死に方をしたんだとひらめくように思い出されて腹の底から声を出して泣きたくなった。

 席を立ち、トイレに向かった。黒地に白のタイルが敷き詰められた床、黒い木の壁に真っ赤な光沢のある縁取り。これもタイルのようだ。洗面台の鏡も縦長の楕円形に金属製の枠が取り付けられ、場末の映画館みたいなつくりをしている。用を済ませてトイレをあとにしようとドアの取っ手に手を伸ばすと、触れる前に扉が開いた。木村だった。

「木村さん、」

「君か」

「木村さんは、今日どうして来たんですか?」

「君のお父さんにどうしても来いって言われたんだ」

「義父です」

「そうなのか」

「フェンさんや、ヤナさんとは親しいんですか?」

「悪いけど大嫌いだよ」そう言ってから彼は大きな声で笑った。短い白髪に囲まれたその顔の中から初めてシワがなくなるのを見た。

「ちょっと飲み過ぎたな。今のは言うな。君、いくつ?」

「30は過ぎてます」

「そうか。俺な、君のお義父さんに無理な相談を受けてるんだ。はは。そのくらいのこと、どうってことはなかったんだが、最近身内に不幸があってな、疑心暗鬼になってる」彼はきっと僕ではなく、自分に向かって話していた。今にも泣き出すんじゃないかというくらい、余裕のない震えた声だった。彼も花火にやられたのだろうか。

「そうですか」

「行ってくれ。しゃべってると小便が出なくなる」そう言って、彼はジーンズの下のジッパーを下ろした。そこで彼がその日、どうして8月にニットのセーターなんか着ているのか、そしてどうして今までそれを不思議に思わなかったのか訝しくなった。彼の周りだけがものすごく気温が低いのかもしれない。

 席に戻るまえに、店の玄関に繋がる通路のまえを通らないといけない。受付に予約リストに入っていないとかなんとか言われて店の中に入れない客が入り口のところでもめていた。

 席に戻るとフェンが黒いタイツを穿いた女の店員を自分の脇に座らせて肩を回して耳元になにかを囁いている。聞こえているのか、息がかかるだけなのか店員はくすぐったそうに笑っている。「他の二人はどこに行ったんですか?」と聞いてみるが、さっきに増してまわりの音がうるさくて、僕の声は誰にも届かずストローの袋と一緒に誰の目にもとまらないままその辺の床にこぼれておちる。きっと僕がトイレに行っている間に誠一がやってきて、マユは父親を殺しにいったのだ。そうにちがいない。しかし、今殺されてしまっては困る。僕は誠一が濃子の死に関与したのかどうか。もししたのであればどうしてそんなことをしたのか訊かねばならない。

 急いで店の外に出て行くと、さっきの客がまだ玄関で受付担当ともめていた。みきちゃんだった。「どうして」と発音しようとして僕の口がもごもご鳴る。その瞬間に、実は屋外に何台ものパトカーがいるんじゃないかと、頭によぎり外に出てみる。トイレなんか行かなければよかったと思った。しかし、警察の姿はなかった。まだ。

 店のまえの道路にはさっきまで花火を見ていたらしい人だかりができていた。浴衣や甚平を着た和装のカップルや、団扇を仰ぐポロシャツの中年男、ベビーカーを引く家族連れ。目の前の人ごみが一つの濁流のように真横に流れ、流動する塊にカラフルな斑点をつくりだす。ピンクや黄色、水色で描かれた着物の模様、牡丹、椿、唐花に萩、蔓、朝顔、あざみやマーガレットらは周囲の店先の光に照らされてときに蛾の群れみたいに毒々しく夜闇に輝く。

 急にエンジン音がして店の駐車場、地下へのスロープから駆け上がって入場口のバーを蹴破りながら車が一台飛び出しくる。人ごみが一斉にそれをよけると、車はアスファルトを飛び降りてひどい縦揺れを起こしながら海へと砂浜を疾走していく。追いかけようとするが、再び僕だけは祭りの客に飲み込まれる。人いきれ、話し声、におい、それから雨が降り出したのだと気づく。臭い雨だ。粒も大きい。予報は少しもそんなことを言っていなかったのに、数秒もしないうちに大粒のスコールが降り注ぐ。雨雲が月を隠す。すぐに人ごみの濁流に本物の水が混じる。ズブズブにぬれて下着のラインが露わになった若い男女、周りの肉をまたおしのけおしのけ最寄りの駅に向かって流れていくその濁流をなんとか道の反対側に渡って抜け、車を追いかけて砂浜へ下りていく。叩きつけるような雨のせいで視界は真っ白に不鮮明。落雷。稲光が空にヒビを入れる。どこかからメフィスト・ワルツが聞こえてくる。幻聴だろう。でも、こんなにしっかりと聞こえるものだろうか。空の裂け目からなにかおどろおどろしいものが湧き出して海の上で踊っているようにも見える。その真下に海に突っ込んだ一台の車。次の雷でまた空が光る。音が鳴る直前、稲光がつくる一瞬の静寂は空が誰かの息の根を止めるためにそっと息を飲んで力を込めているみたいだ。今、誰かが死んだ。

 海からこちらにむかって人が歩いてくる。石膏像みたいにずぶずぶに濡れた衣服の中に身体のかたちがはっきりと浮き出る。自分のからだの重さが倍になったみたいに重たい歩き方。目の前、20メートルくらいのところまで近づいてきてやっとそれが妻だとわかる。

「お父さん、殺したの?」

「ちがう。あれは別の人。あいつは来なかった」

 こちらに歩いてくる彼女とすれ違うように海に向かおうとすると彼女が僕の肩をとめる。興奮していて力の加減ができない。彼女の右手が触れたところにいきなり強い痛みが走り、左の方を脱臼しそうになる。

「行かないで。死体は回収しない。まだ終わりじゃない。これは警告なの」

 濡れて鎧みたいになったシャツの首のところをまくると真っ青な痣になっている。そこで彼女のことをやっと見る。左目に青い痣の入った顔からみるみる力が抜けていく。夜更かしをしすぎたこどもみたいに鈍い顔。

「明日、クリーニングにいかないといけない」

「あなたの友達が、すぐに来る」

 妻はみきちゃんが僕らのことを尾行していると知っていたようだ。橋が渡れなかったせいで彼女は何十分もあとになってここに到着した。しかし、みきちゃんよりも先にここに到着した男がいた。その男はトッポBJに乗っていて匿名で警察に通報した。すぐに警察がやってきて祭りのあとで起こった交通事故の処理が行われるだろう。それから副署長の遺体が回収されて殺人の疑いがある事件として調査されるだろう。

 時刻は21時半になろうとしていた。海沿いに並ぶどこかの店の玄関が開けっ放しになって店内で流れる音楽が聞こえる。The Four Knights の“I get so lonely”。 よろめく彼女の肩を抱いてゆっくりと通りのほうへ砂浜からひきあげていく。

 

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