飄々舎

京都で活動する創作集団・飄々舎のブログです。記事や作品を発表し、オススメの本、テレビ、舞台なども紹介していきます。メンバーはあかごひねひね、鯖ゼリー、玉木青、ひつじのあゆみ。

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「手作り」の臨界点

バレンタインが過ぎて久しい。意中の男性へのチョコレートを手作りしたという人も多いのではないだろうか。しかし、”手作りチョコ”には昔からある批判がつきものだ。

「溶かして型に入れただけ」

バレンタインの時期によく聞く批判だ。では、料理やお菓子はいったいどこからが”手作り”と言えるのか。種類が多くて検証しやすい麺類で考えてみよう。

 

例えばソーメン。これはあまり”手作り”という感じがしない。ではパスタはどうか。こちらは一転して”手作り”感が増す。だって「美味しいパスタ作ったお前」に家庭的な女がタイプのオレはベタ惚れするのだから。ではうどんはどうか?きつねうどんは”手作り”と胸を張って言われると違和感がある気がする。しかし鍋焼きうどんになると”手作り”感が出てくる。ただ、すべての具材が出来あいのものだとやはり”手作り”感は薄れる。「一定の割合で自作の具材が入っている鍋焼きうどん」これを手作り麺類の臨界点と仮定しよう。

では、この”手作り”感の正体は何なのか。分かっているのはソーメン・きつねうどん→具材が全て出来あいの鍋焼きうどん→一定の割合で自作の具材が入っている鍋焼きうどん→パスタの順で”手作り感”が強くなっていくということだ。鍋焼きうどんの具材が全て出来あいだと手作り感が薄くなることから、単純に具材の種類に比例している訳ではなさそうだ。

”手作り”感の強弱を支配している因子。それを表すために「手数」という概念を用いてみた。例えば、「ゆでる」という工程で手数が1、盛り付けるという工程でさらに1、という風に、その料理に必要な行為が増えるほど、「手数」は上がっていくと考える。具材が全て出来あいだった場合、いくら具材を増やしても、「盛り付ける」の手数1で処理されてしまう。しかし自作の具材が増えれば増えるほど、手数は上がっていく。この「手数」が”手作り”感の正体ではないか。

さて、冒頭に戻って、手作りチョコレートについてだ。この論法だと、”手作り”感が薄い手作りチョコは手数が少ないという結論になる。これにはチョコの手作り経験がある方からそんなことはないと批判が寄せられるかもしれない。僕はチョコの手作り経験が無いのでそれについてはわからない。しかし、言っておきたいのは、”手作り”感は飽くまで感じる側の主観であり、その人の知識・経験に左右されるということだ。

例えば彼女がお刺身を「私がさばいたの」と言って出したら大抵の男性は「マジで?!」と驚愕するだろうが、料理に全く無知な男性は「なんだ一口サイズに切っただけか」と思うかも知れない。同じように全くチョコの手作り経験が無い人間にとって、手作りチョコの手数は「熱する」「冷やす」の2のみなのだ。この悲しいすれ違いから、毎年バレンタインに一部の恋人同士の間で大バトルが勃発することになる。

”手作り”感はその料理に必要な「手数」によって生み出される。そしてそれは主観的なものであり、見る者の知識・経験に左右される。では、料理・製菓の経験の少ない相手に”手作り”感を持たせるにはどうすれば良いか。答えは簡単。馬鹿にも手数が少なくないと分かるように作ればいいのだ。クッキーやチョコケーキが上記の批判を逃れているのは、どんな馬鹿でも「溶かして固めただけじゃこうはならないな」と想像出来るからだ。この感覚を相手に持たせれば無益ないさかいを回避できる。もしも実際の手数を抑えた上で手数を多く見せる技があるなら、それが理想的だ。その具体的方法については詳しい人に聞いてください。もしくはクックパッドで調べて欲しい。

うかうかしている暇はない!来年のバレンタインはすぐそこまで来ている!

などと大嘘をついたところでこの記事を終わることにする。

それでは、また。

 

 

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