飄々舎

京都で活動する創作集団・飄々舎のブログです。記事や作品を発表し、オススメの本、テレビ、舞台なども紹介していきます。メンバーはあかごひねひね、鯖ゼリー、玉木青、ひつじのあゆみ。

スポンサーリンク

『幻影城の時代』のこととか

先日のイベント

こんにちは、あかごひねひねです。

先日、第何回かは忘れたが、飄々舎のイベントを行った。
飄々舎のイベントは基本的に僕が好きなことを舞台上でべらべらと話し、それに相方の青木あらため玉木くんがツッコんだり、あきれたりする、という形態で行うことが多い。
先日のイベントでは後半、趣味の話になった。そこで最近ハマっているものから、それにハマるキッカケとなったもの、さらにそのキッカケとなったもの、という風に逆にたどっていくという企画を行った。以前このブログでも「ラーメンズから広がる世界」というタイトルでやっていたことの逆バージョンである。
この企画は結果的に、気が狂ったかのように話し続ける僕と、あきれる玉木、飽きる観客という構図になった。僕は楽しかったから後悔はしていない。
むしろ話したりないくらいだ。だからその企画で話した内容に近いことを、このブログでもう一度書いてみることにする。

この記事はある話題について意図的に脱線しながら、その話題から芋蔓式に話を広げていこうという企画だ。
ブログならば時間制限も字数制限も無いので、思いついた内容を全て盛り込むことが出来る。この記事はきっとイベントで話した内容以上に長大なものになるだろう。でもいい。これは自己満足の文章だとあらかじめ宣言しておく。

イベントで最初に僕が一番最近にハマったものとして紹介したのが、少し前にアマゾンで買った『幻影城の時代 完全版』という本であった。なのでとりあえずその話を書こうと思う。

 

幻影城の時代 完全版 (講談社BOX)

幻影城の時代 完全版 (講談社BOX)

 

 

イベントではこの『幻影城の時代 完全版』について話すだけで、余談脱線含めると結構な長さになった。そこで、内容に入る前に登場する言葉を羅列してみる。これからこんな言葉が登場しますよー。

幻影城/江戸川乱歩/横溝正史/松本清張/本格ミステリ/泡坂妻男/連城三紀彦/社会派ミステリ/新本格/綾辻行人/我孫子武丸/太田克史/メフィスト賞/京極夏彦/森博嗣/舞城王太郎/佐藤友哉/西尾維新/ファウスト/講談社BOX/東浩紀/ゼロアカ道場/星海社/渡辺浩弐

では、内容を書いていくこととする。しばしおつきあいを。

 

なお、この記事の内容は多くをネットで得た知識と僕の記憶に依っているので、間違っている箇所が多いかもしれない。指摘していただければ直しますので、ファンの人は間違い見つけてもあまり怒らないでもらえると嬉しいです……。

 

『幻影城』という雑誌

まず、『幻影城の時代 完全版』という書籍は、『幻影城』という雑誌のファンによる同人誌である。このことを知った上で以下の文を読んでほしい。
「本格ミステリ」という言葉がある。これは読者に対して事件の謎を解くために必要な情報を全てオープンにした上で、物語の中で謎を展開するというミステリの比較的古典的なスタイルだ。本の途中で作者による「読者への挑戦」が行われる作品などはこの典型である。ただ、この形式は時としてリアリティを欠いたパズルやクイズのようだという批判をあびてきた。
現代日本のミステリ史をものすごく雑に区分すると、江戸川乱歩・横溝正史の時代の後に、松本清張に始まる社会派ミステリの時代が来る。乱歩、正史の時代はいわゆる本格ミステリが幅をきかせていた時代なのだが、それに対してリアリティがないという批判とともに興ったのが社会派ミステリであった。探偵ではなく一介の会社員などが、社会的な悪事など「リアルな」謎を解くミステリである。
この時代は、本格ミステリにとっては冬の時代であった。そしてこの時代に創刊された貴重な本格ミステリ雑誌が1975年創刊の『幻影城』だ。
元々、過去の名作探偵小説を再掲する雑誌であった幻影城だったが、やがて雑誌発の新人賞を開催するようになり、そこから泡坂妻男や連城三紀彦などの作家が輩出された。
また、この雑誌の読者から、後に「新本格」と呼ばれる本格ミステリムーブメントの中心となる人物も出てくることになる。日本の本格ミステリ冬の時代にその炎を消すことなく次の世代に伝えたという意味でも、この幻影城という雑誌は貴重なのである。
さて、この『幻影城』を作っていた人物は島崎博というのだが、彼は実は台湾人であった。彼は1979年の幻影城の休刊の後、台湾に帰国してしまったため、日本国内では消息が不明な状況になっていた。
時は流れて2006年、その島崎さんが実は台湾で存命であるという事実を知ったサークルが台湾に飛び、インタビューをこころみた。それが伝説的同人誌『幻影城の時代』である。これが書籍版『幻影城の時代 完全版』のベースになる。

『幻影城の時代 完全版』

話は少し戻って、日本ミステリ史である。幻影城から本格ミステリの意志を受け継いだ1980年代後半の「新本格」ムーブメント。そのムーブメントを仕掛けた編集者に、講談社の宇山日出臣がいる。綾辻行人ら多くの新本格作家を輩出したこのムーブメントの仕掛け人はその後、講談社文芸図書第三出版部(通称文三)の部長として再び日本ミステリ史の新たな潮流の発生に関わることとなる。それが「メフィスト賞」である。
メフィスト賞とは、出版社で以前から行われていた、いわゆる「持ち込み」を新人賞の形式にしたものと考えてよい。年中原稿を募集し、送られた原稿は全て下読みなしで編集者が読み、良かったものは受賞させて書籍化する。副賞は確か印税のみだったように記憶している。メフィスト賞の第一回受賞者は『全てがFになる』の森博嗣だが、京極夏彦を第0回メフィスト賞受賞者と呼ぶ場合もある。

 

すべてがFになる (講談社文庫)

すべてがFになる (講談社文庫)

 

 

ある日、素人からの一本の電話の後に講談社に送られてきた、一般の新人賞では確実にNGの分量の原稿があまりに面白かったため、書籍化されたのが京極夏彦のデビュー作『姑獲鳥の夏』である。そしてこれがきっかけで、こういった従来の新人賞ではすくい取れない才能を発掘する場として誕生したのがメフィスト賞なのだ。

 

文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

 

 さて、このメフィスト賞は雑誌『メフィスト』を母体としていたのだが、この雑誌内で少し変わった企画を行っていた。「座談会」と呼ばれるその企画は、メフィスト賞の選考委員、すなわち文三所属の編集者たちが投稿作に対して座談会形式でコメントしていくというものだ。賞の選考の様子を文字起こしのような形式で読者に公表するこのスタイルも斬新であった。

「座談会」の際、文三の編集者は全員アルファベットで表されるのだが、その中に「J」という編集者がいた。文三に十番目に入ったためそう呼ばれたその男こそ後に筒井康隆をして「太田が悪い」と言わしめる講談社の名物編集者、太田克史である。
『幻影城の時代 完全版』の話に戻るまでもう少しおつきあい願う。太田克史は2009年講談社創業100周年記念企画として、新たな文芸誌の企画を立案。これが採用されて新雑誌 『ファウスト』が創刊された。この雑誌ではいくつかの新しい取り組みが行われた。まず編集長の太田克史が全ての編集を行う「ひとり編集」体制。編集長のこだわりを紙面により濃く反映させるための工夫である。次に「イラストーリー」手法の採用。イラスト+ストーリー、すなわち小説にイラストを挿入するライトノベルの手法の意識的な取り入れだ。さらに「本物のDTP」。DTPとはデスクトップ・パブリッシングの略で、パソコン上で本の校正を行ってしまうことである。この手法をいち早く取り入れたのが元々デザイン会社に勤めていた京極夏彦であり、彼と交流があった太田克史もファウストで本格的にDTPを活用し始めた。これによって「ファウスト」では各小説のイメージごとにフォントを変えるなどの細かい工夫が行われている。
こうして創刊された雑誌『ファウスト』にはメフィスト賞出身で太田克史にゆかりのある舞城王太郎・佐藤友哉・西尾維新のほか、パソコンゲーム業界でその才能を発揮していた竜騎士07、那須きのこなど、様々な作家が作品を発表した。
ファウストを不定期で刊行しながら太田は、講談社BOXという新レーベルの編集長にも就任する。西尾維新が『化物語』シリーズを書いている、あの、箱に入って妙に割高のラノベ?レーベルである。

 

化物語(上) (講談社BOX)

化物語(上) (講談社BOX)

 

 この講談社BOX編集長時代には、『ファウスト』でも交流があった批評家の東浩紀とともに、ゼロ年代の新たな批評家を発掘する企画、「東浩紀のゼロアカ道場」を開催している。この選考の様子はニコニコ動画で配信され、そのアーカイブは現在も見ることが出来る。課題も「文学フリマで自作の批評を売れ」など、エンターテイメント性が高く面白い。特に太田・東の二名に加えて芸術家の村上隆、作家の筒井康隆の四人による公開口頭試問はスリリングで一見の価値ありだ。

www.nicovideo.jp

ちなみに、「文学フリマ」は批評家の大塚英志が「不良債権としての文学」

http://www.bungaku.net/furima/fremafryou.htm

という文章を発表した後、その回答として企画に関わったものであるが、2002年に行われた第1回文学フリマに太田克史は同人誌を販売している。「タンデムローターの方法論」と題されたこの同人誌は太田克史・佐藤友哉・西尾維新・舞城王太郎が表紙が参加しているなかなか豪華な代物だ。

ちなみに、太田克史が『ファウスト』を創刊した動機にも、上述の大塚英志の文章は景況していたらしい。

6.取材◆太田克史さん(編集者) « KENBUNDEN2009-見たい、聞きたい、伝えたい!東大生の、好奇心!

その太田克史が講談社BOX編集長時代に出版したのが、僕が持っている書籍版の『幻影城の時代』である。同人誌版に掲載されていたインタビューのほか、再び今度は講談社の編集者が島崎さんを訪ねて行ったインタビューⅡや、当時幻影城に執筆していた作家による書き下ろし短編、『幻影城』各号の表紙のデザイン、幻影城の読者であった推理作家たちによるコメント集などが収録されている。
ここに至るまでにえらく脱線してしまった。

この書籍について僕が知ったきっかけは、「公開企画会議(仮)」というタイトルでニコニコ動画に上がっている、2011~2012年にかけて太田克史と作家の渡辺浩弐のニコ生のアーカイブである。

www.nicovideo.jp

渡辺浩弐はかつてファミ通にSFショートショートを連載していた作家で、ファウストにも作品を発表しており、太田克史と親交があった。ちなみに渡辺浩弐はかつてテレビ番組「大竹まことのただいま!PCランド」のゲームを紹介するコーナーに出演していたらしく、シティボーイズも大好きな僕としては、意外なつながりに驚いたものだ。

「公開企画会議(仮)」の時期、太田克史はすでに講談社BOXの編集長を辞しており星海社という講談社の子会社の副社長に就任していた。この状況は現在まで続いている。ちなみにこの星海社という会社も小説の新人賞を開催しているのだが、この形態がなかなか面白い。まず、新人賞の賞金が一定でない。その年の星海社の全売り上げの1%が賞金となる。ちなみにキャリーオーバー有り。また、賞の選考は下読み無しで全て編集者が行う。これは太田克史の古巣『メフィスト』のやりかたである。同様に「座談会」も公開されている。メフィスト賞と異なるのが、「座談会」の公開がネット上であることと、メフィスト賞ではイニシャルだった編集者が全て実名で公開されているという点である。この座談会、新人の原稿を編集者がおもしろおかしくdisるのでネットでよく燃える。僕が星海社を知ったキッカケも、この座談会を叩く2ちゃんねるの過去スレだった。
さて「公開企画会議(仮)」は「文芸の未来を模索する企画会議」と銘打って、太田・渡辺の二人が、中野ブロードウェイの中にある渡辺浩弐が経営する(といっても年に数回しか開けないのだが)「Kカフェ」というカフェから配信するニコニコ生放送だ。その内容は星海社がその時手がけている企画の話が多く、またゲストに作家が登場することも少なくなかった。メフィスト出身の佐藤友哉、講談社BOX新人賞受賞者の小柳粒男、『NHKにようこそ』の滝本達彦などが出演した。そして、このニコ生で毎回行われた定番のコーナーに「この本ステマせん!」がある。このコーナーは太田克史と渡辺浩弐が毎回オススメの本を一冊ずつ紹介するというシンプルなものである。僕はこのコーナーで紹介された本をかなり意識的に読んだし、そこからかなり影響を受けた。岡田斗司夫の「僕たちの洗脳社会」を読むキッカケになったのはこのニコ生だし、塩野七生の「ローマ人の物語」シリーズもこのニコ生で知った。他にも中田永一「くちびるに歌を」、スティーブン・キング「小説作法」、筒井康隆「残像に口紅を」、泡坂妻夫「しあわせの書」なども同様にこのニコ生がキッカケで読んだ本だ。『幻影城の時代』も、このコーナーで太田克史が紹介していたのが、購入のきっかけである。

ぼくたちの洗脳社会 (朝日文庫)

ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫)

くちびるに歌を (小学館文庫)

小説作法

残像に口紅を (中公文庫)

しあわせの書―迷探偵ヨギガンジーの心霊術 (新潮文庫)

ニコ生で太田克史は「定価は6000円だけど、いずれ中古で10000円くらいになるから、今買った方がいい」と言っていた。ニコ生は2012年のもので、僕が最初にこのアーカイブを見たのは2014年だったと思うが、その時は「幻影城」という雑誌のことをよく知らなかったこともあり、適当に聞き流して調べようともしなかった。

再びそれを意識したのは2015年で、きっかけは、たまたま綾辻行人がその数日前に「幻影城」の終刊号(東京でだけ売ってる同人誌らしい)を手に入れたことをツイートしていたのが頭の片隅に残った状態で、久しぶりに「公開企画会議(仮)」のニコ生を見たからだった。ニコ生を見ながら実際にアマゾンで値段を調べると、実際に中古の価格で一万円近くの値が付いていた。しかし、すでにニコ生の太田克史の口上に乗せられていた僕はその内容を読みたくて仕方なくなっており、迷わずそれを購入してしまったのだった。

 

以上。これが、『幻影城の時代』について及び僕がそれを知ったキッカケの話である。

それでは、また。