ディズニー最新作『ズートピア』が描く不自然な共存
イトウモです。
『ズートピア』 という4月に公開されたディズニー映画を紹介したいと思います。 大変巧みなサスペンス映画です。
話は擬人化された様々な動物が暮らす世界でウサギとして初めて女 性警官になった主人公がキツネの詐欺師と一緒に14件の連続誘拐事件を捜査すると いうものです。映画の中では体の大きさ、食性、 生活環境などの様々異なる動物たちが「ズートピア」というひとつの都市に共存しています。 中でも肉食動物と草食動物との差異が物語の鍵を握ります。「肉食動物は草食動物を食べる」「 ウサギは間抜けで力が弱い」「キツネはずる賢い」「キツネはウサギの天敵である」 といった固定概念のうえに「どの動物も平等。努力すればなににでもなることができる」 という建前があるのがズートピアの常識です。 理想都市の多様性がもたらす不便と不平等を動物たちはどう克服し ているのでしょうか。
知性によって対等になる肉食と草食
主役のウサギの警官、 ジュディは非力な自分を上司に認めてもらうために一人、失踪事件の捜査に乗り出します。 ジュディはキツネの詐欺師ニックが事件に関与していることがわかると彼が関わっている商売が違法である言質をとり、 レコーダー付きのニンジン型ボールペンにそれを録音します。
サスペンス映画の中ではしばしば重要な小道具が画面の中心に現れ ます。その小道具が動き回り、カメラが追いかけることで物語が進みます。捜査にはいくらか法的にグレーな手段が必要なこともあります。 たとえばジュディは侵入できない場所を囲むフェンスの向こう側にくだんのニンジンボ ールペンを投げ入れ、ニックに追わせ「 不審な人物がフェンスの向こうに行くのを追いかけた」という名目で越境します。もちろんニックは嫌な顔をします。 こうした無理な状況を打破する機転は劇中、随所に登場します。 はじめはお互いへの当て付けのつもりでやっていたニックとジュディの「機転」も、中盤からはお互いに「賢いな」 と褒め合うようになります。肉食動物のキツネと草食動物のウサギが「賢いな」 と認め合うことがこの映画の味噌ではないかと思います。 姿形のちがう動物同士が互いを平等だと見なすのは相手に知性が認められるときではないでしょうか。知性とはつまり「 上手な嘘がつけること」ではないでしょうか。
「夜の遠吠え」というマクガフィン
もう少し話が進むと「オオカミ」と「ヒツジ」が出てきます。(ここらへんからネタバレあり)
捜査が進む中で「夜の遠吠え」というワードが出てきます。
「夜の遠吠え」 はサスペンス映画によく出てくるマクガフィンというテクニックです。マクガフィンとは正体は不明瞭だけれど、 登場人物たちが注目することで重要な扱いを受けストーリーを動かすもののことです。 サスペンスの中でかたちのない小道具として機能します。
病院の実態を暴いたジュディは一躍ズートピアのヒーローになりま す。しかし、肉食動物が原因不明の野生化を発症して他の動物を襲う事件は市民に差 別感情を植え付けます。一部の非力な草食動物は「 危険な肉食動物には捕食者としての野生の本能が備わっている」と訴えるようになります。
これをきっかけにジュディとニックは仲違いし、 ジュディが自信をなくしますが実家の農家に帰った折に「 夜の遠吠え」 の正体が中毒性の高い農作物であることを発見します。 再会したジュディとニックは「夜の遠吠え」 の販売ルートを辿ります。
真相と決戦
するとギークのヒツジが地下で銃弾型の毒薬を密造し、 隠れて肉食動物に撃ち込んでいたことがわかります。
ヒツジたちは徒党を組んで「夜の遠吠え」 を使い肉食動物を陥れようとしていました。「夜の遠吠え」 はオオカミの皮を被ったヒツジだったわけです。
そして組織の元締めはライオンの市長にこき使われるヒツジの副市 長でした。
彼女は病院の一件で市長が逮捕された後、 ズートピアの市長になっています。
ヒツジの副市長の登場シーンに注目しましょう。
ジュディたちは副市長から悪行の言質をとるために一芝居打ちます 。決戦は博物館で行われます。原始、 肉食動物と草食動物がいがみあっていた展示の中で副市長は「夜の遠吠え」をニックに撃ち込みます。 凶暴化したニックは古代の世界を模したセットの中でジュディに襲いかかります。しかし、実は「夜の遠吠え」 が事前に見た目がそっくりなブルーベリーとすり替えられていてニックは凶暴化したふりをし ていただけだと判明します。 野生化したニックの前で自身の悪行を並べ立てる副市長の声を、 ジュディはニンジンボールペンにしっかり録音していました。
歴史を騙し 生きながらえる街
このシーンは映画の冒頭でジュディが子どもの頃に学芸会で上演し た、肉食動物が草食動物を襲っていた時代のお芝居のシーンと呼応しています。 このシーンは副市長を騙すためだけでなく、 ズートピアという街が歴史そのものを騙して生きながらえているような印象を与えます。
熱帯、乾燥帯、寒帯気候をひとつの街に有し、 体の大きさ別の公共交通機関が走るズートピアはかなりハイコストな街と言えるでしょう。 そこは多様性を維持するために極端に人工的で居心地のよい動物園のような場所と言えるかもしれ ません。
肉食動物と草食動物が手を取り合うことは自然なことではないかも しれないけれど、お互いが共存するためにきれいごとのごっこ遊びをするというのが 映画のメッセージかもしれません。野生を知性で装うこと。正しい(らしい) ことのために「そもそも」という考えを隠すことが作品コンセプトのようです。
メッセージへの賛否は観る人を選ぶと思いますが、 ディズニーの一級品の演出力で機能的なサスペンスフルな騙りの連鎖を堪能できるオススメの1本で す。