明石家さんまとのリハビリで古舘伊知郎が「現役復帰」したぞ
玉木(@tamakisei)です。
FNS27時間テレビ『ホンマでっか!?TV』の感想を書きます。
明石家さんまは今を生きている
テレビは今を映す道具であった。
しかし悲しいことに、そのテレビはもう古道具となってしまった。
今や「なう」といえばTwitterである。
そして、Twitterでさえ、InstagramやSnapchatに比べれば、断然、古い。テレビとなんて比較さえされない。
それでも、テレビは今を生きねばならない。
それは、ニュースもバラエティもドラマまでも、すべてが生放送であった黎明期から仕掛けられているシステムのように思う。
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古道具の中で、それでも「今を生きている」唯一のタレントが明石家さんまである。
正確にいえば、「今」に必死にしがみついている。本当に今を生きられているかどうかは関係がない。とにもかくにも「(今を)生きるのに必死」な姿を世間に見せ続けている。
番組冒頭の「敵は今あっち(ポケモンGO)やからな。テレビの敵は」という明石家さんまの言葉はその象徴だろう。
古舘伊知郎は「過去の人」
そして。
「バラエティをやっていたと、若いディレクターは知らない」「古舘さんって無口な方ですね、と言われる」。
バラエティという場所では、古舘伊知郎はもはや過去の人である。
実際、「古舘伊知郎のバラエティ復帰」について、興味のない人が大半だろう。前提を共有するために、かなり注釈が必要かもしれない。ざっくり言おう。
古舘伊知郎は10数年前、超のつく売れっ子司会者だったのである。
そして何より、アナウンサーとして、実況者として一時代を築き、今現在も残る「テレビしゃべり」の型をつくりあげた。
しかし、2004年に報道ステーションのメインとしてキャスターへと転身。
12年間バラエティを封印し、今年、バラエティ復帰。
あまり適切な例ではないが、たとえば今、ダウンタウンのどちらかが報道に転身し、バラエティから姿を消して、10年後バラエティに復帰したと思ってほしい。
僕にとってテレビで今起こっていることは、そういうことなのである。
今と過去の対決
さて、
そんな明石家さんまと古舘伊知郎が、FNS27時間テレビフェス2016 ホンマでっか!?TVで16年ぶりに共演した。
「今」と「過去」の対決である。
録画している人は見てほしい。見逃した人も探せばどこかで見られるだろう。
過去の人が、現役となり、(10月の改編期にはきっと)レギュラーとなる。そんなドキュメンタリーを見ているようだった。
リハビリと言ってもいい。かなりの荒療治だが、確実に古舘伊知郎はバラエティへの「復帰」を果たした。ほどなく全快するだろう。
時間のない人は
オープニングの噛み合わなさと、エンディングを比べるだけでも面白いかもしれない。
古舘伊知郎の長尺の思い出話を受け入れる土壌は、もうテレビにはないんだ…と思わされるオープニング。
その2時間後、
「いかがでしたか、本日は?」という質問に
古舘伊知郎は「いかがもクソもないじゃないか!」と爆笑を取っていた。古舘伊知郎はこの2時間で過去を振り返ることを放棄した。
「手応えばあったでしょ」という質問にも「あるなんてもんじゃない」「いくつかの局がおれに言ってきますよ」と現在形か未来形で返して、また爆笑。
「10月から忙しくなりますよー!」
「朝でも昼でも夕なでも、なんでもやります」
「夕な」などという、今のテレビで聞きそうもない言葉で今を語る古舘伊知郎がとても魅力的に見えた。(「朝な夕な」という言葉はまさに「regular」という言葉の言い換えである)。
あまりにも美しい6分間
レギュラーだけじゃない。
ストレスの話、植木先生との対決、「笑顔でしゃべれ」という忠告、番組で出たキーワードを、見るも鮮やかに絡み合わせ発展させていく、エンディングの6分はこれまでの伏線を拾いながら「今」の話しかしない、それはそれはきれいな6分だった。
(「6分しかない」というのに、かまわず口を挟む門倉先生や澤口先生も含めて美しかった。「ミロのビーナスでいうところの失われた両腕のようだった」という言い方を思いついたが、過言なのでやめておく)
番組ではさらっと流れてしまったが
出演者たちの「ストレス」は明石家さんまであるという話で
「さんまちゃん、みんなストレスたまってんですよ、あなたに!」の言葉に続けた「朝起きたらだれもいない、マネージャーも叩かないですよホテルのドア!」。
オープニングで噛み合わなかった
「さんまが番組収録に遅れてマネージャーが呼びに来た」という思い出話を受けた、当意即妙なこの言葉。
全盛期を過ぎた明石家さんまに、こんな「今」を突きつけられるプレーヤーがバラエティに戻ってきた! と、嬉しくなった。
安住アナとトーキングブルースを再現する。上田晋也とおしゃれカンケイの思い出を語る。松本人志にすべらないプロレス伝説を話す。それはそれで面白い。
でも、再現や思い出や伝説は、テレビ黄金期の栄光にすがる私みたいな人間にしか響かない。私は全然、マスではない。
もっともっと、古舘伊知郎に今の話をしてほしい。
橋下徹のような人と刺し合って、テレビの終わりを華々しく飾ってほしい。
古舘伊知郎が「過去の人」であるのは、テレビにとって損失である。
そんなことを思ったのでした。
取り急ぎ。
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