飄々舎

京都で活動する創作集団・飄々舎のブログです。記事や作品を発表し、オススメの本、テレビ、舞台なども紹介していきます。メンバーはあかごひねひね、鯖ゼリー、玉木青、ひつじのあゆみ。

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裏路地の古市

お久しぶりです。あかごひねひねです。また、おとぎ話を魔改造したお話を書いてみました。

 

裏路地の古市

 煉瓦造りの倉庫の内部は暗く、埃っぽかった。
 ハンスは空の荷車に腰掛け、周りを見渡した。汚い布でくるまれた得体の知れない荷物が、壁ぎわにいくつか転がっている。それ以外にはこれといって見るべきものはない。ハンスは誰かが現れるのを待っていた。
 ハンスは町の家具屋の主人である。先日注文された家具を客の家まで届け、帰路のついていた彼が一枚の貼り紙を見つけたのはつい一時間ほど前のことだ。小さな路地の入り口の、道行く人から死角になる場所に貼ってあったそれをどうして見つけられたのか。それは彼自身も分からない。
 それは、古市の告知の貼り紙だった。どんな商品が出るのかなど、細かいことは何も書かれていない。あまりにも不確かな代物だった。中古品も扱う家具屋のハンスといえども、普段であれば一瞥をくれてそのまま通り過ぎていただろう。しかし、貼り紙の最後、主催者の名を見て、ハンスは顔色を変えた。
”王室主催”
 王室の人々が使う物は家具から食器まで、全てのものに銘柄が決まっている。いわゆる”王室御用達”というやつだ。
 王室御用達になった職人や工房は、もう一般向けの商品を作ることは無い。王室からの注文だけどもかなりの実入りになるし、それで足りなければ王室が融資してくれるからだ。
 しかし貴族や金持ち連中を中心に王室御用達の道具を欲しがる人間は多い。そこで、御用達の工房がそれ以前に作って売った古道具や、職人が家で使うために作って家族がこっそり売りに出した道具などは、市場では目の玉が飛び出るほどの高値で売れるのだ。
 王室主催の古市ならば、売られるものは当然”王室御用達”の古道具だろう。それも実際に王室で使用されたもの。市場に出せばいったいいくらの値が付くか想像もできない。
 貼り紙の日時を確認すると、なんと日時は本日。しかも時刻は迫っている。
 貼り紙が本物かどうか疑問は当然あったが、もしも本物ならば大チャンスだ。ハンスは急いで家具を届けるために引いてきた荷車の向きを変え、貼り紙の指示に従って小さな暗い路地に入って行った。
 そして今、彼は荷車に腰を下ろしてぽつねんと暗い倉庫の中にいるというわけである。
 十分ほどこの場で待って、既にハンスの頭の中ではあの貼り紙はニセモノだという結論が出ていた。それでもここで座っているのは、せめて自分を騙した人間を一目見たいと思ったのと、重い荷車を引いて再び動き出すのがおっくうであったからだ。要するに休んでいたのである。
 そろそろ帰ろうかとハンスが荷車から腰を上げた時、倉庫の中にしわがれた声が響いた。
「お待たせいたしました」
 いつの間にか倉庫の奥に黒いローブをまとった小柄な初老の男が一人立っていた。その横には男の背丈より少し低い物体に紺色の布が被せられている。
 本当に古市が始まったのか。しかし、この場にはハンスしかいない。売り手と買い手が一対一の市などハンスは聞いたことがなかった。
「えっと、これは本当に、王室主催の古市ですか」
「もちろん。本日の商品はこちらです」
 そう言って男が横の物体の布を取ると、布の下から一枚の鏡が現れた。
「先代の女王陛下が寝室でご愛用されていた鏡でございます」
 ハンスは驚いた。それが本物であるとは考えられなかったが、その鏡の噂は、ハンスも聞いたことがあったからだ。

 現在のこの国の女王陛下はかなりの高齢であり、先代の女王はこの陛下の継母にあたる。現在の女王陛下は幼い頃に父を亡くし、よその国から嫁いできた、この継母の先代女王に育てられた。
 しかし、継母の先代女王の故郷の国は古くから魔術・妖術の研究がさかんな国であっり、そしてあろうことか嫁いできた本人までもが悪しき魔女だったのだという。
 魔女である先代女王は毎日、寝室にある魔法の鏡に「世界で一番美しいのは誰か」と尋ね、その鏡に自分の姿が映し出されることに満足していたらしい。しかし、ある日その鏡に全く別の人物が映し出された。それは雪のような白い肌を持つ少女だった。映ったのは現在の女王陛下、つまり当時の姫の姿だったのである。そのことは先代女王の逆鱗に触れた。彼女は配下の狩人に姫の殺害を命じた。
 しかし狩人は姫を殺すことができなかった。悩んだ末に狩人は姫を逃がし、豚の心臓を姫の心臓であると偽って王妃に渡した。姫は森に逃げ込み、そこに小人のもとに身を隠した。
 魔法を駆使して姫の生存を知った王妃は、次は自ら手を下して姫を殺害しようと、老婆に変装して姫を訪ね、毒リンゴを食べさせ、姫を永遠の眠りにつかせることに成功した。
 しかし姫は偶然そこを通りかかった隣国の王子のキスによって悪しき魔法が解けて目を覚まし、自らを殺そうとした先代女王を捕らえ、自分とその王子の結婚及び女王就任を宣言したのである。先代王妃は就任の祝祭の折、見せ物の一つとして、国民の目の前で処刑された。

 この話は王室からの公式な見解であり、この国の民衆は一部に疑問を持ちながらも、だいたいの内容を真実であると受け入れている。先代女王の鏡とは、そういういわくつきの品なのだ。そんなものが流出するなど、多くの民と同じくこの話を信じているハンスにはにわかに信じられなかった。
「……これが、魔法の鏡だというのですか?」
「魔法の鏡?」
 おとこはキョトンとして聞き返した。
「先代女王の寝室にある鏡と言えば、魔法の鏡でしょう?」
「あなたが、この鏡とその持ち主について、どのようなことを知っているかは存じ上げませんが」
 男はそこで言葉を切り、遠い昔を思い出すように目を細めた。
「私が知っている話は、このようなものです」
 
 この鏡の前の持ち主は、とある国の王族の姫君でした。姫はたいそう物語が好きなお人でした。朝から晩まで暇さえあれば部屋にこもって、城の本棚から引っこ抜いてきた物語の本を読みふけっていました。
 もちろん、王族として必要な様々な勉強も家庭教師から教わっていましたが、彼女にはこちらの方の才能が全く完全に欠如していました。いや、それ以外についても、何かにつけて欠如していました。恵まれていたのは二つだけ。物語を読み想像の世界で遊ぶ力と、その容姿の美しさだけでした。
 しかしそんな彼女を、父親の王はとても可愛がりました。ことあるごとに「きれいだよ」「かわいいよ」とその容姿を誉めて。他に誉める部分がなかったというのもあるでしょうが、実際姫様はたいそう美人だったのです。王様は、姫に大きな鏡を贈りその前に彼女を立たせては「ほらご覧。世界で一番美しい人を映す鏡だよ」と冗談めかして言って、彼女の美しさをほめそやしました。
 ですから、成長した後、彼女が自分の容姿の美しさに人一倍自信を持っていたのも、仕方がないことでありました。第一、その自信は決して過信ではありませんでしたし、その頃になると自分に他に誇れるものが無いことに、彼女自身、気がついていました。
 彼女が28才の誕生日を迎えてまもなく、王は急な病で他界されました。次の王には彼女の弟が即位することがすんなり決まりました。彼女にとって、自分を可愛がってくれた、最大の味方が王室からいなくなってしまったのです。
 実際弟が、王族の責務を全く果たそうとせずいい年をして物語ばかり読んでいる姉を、疎ましく思っていたことは確かでした。
 彼女は、自分が王室のお荷物になりつつあることに気付いていました。自分自身の意向で、いくつかの国の王室との縁談を組ませました。幸い、彼女の美しさは衰えるどころか、その年でますます磨きがかかっていましたし、黙って笑っていれば王族であろうと言い寄って来る輩には事欠きませんでした。
 そうして、最終的に縁談がまとまったある国に、彼女は嫁ぐことになりました。
 彼女が祖国を発つ日、見送りの式典が行われました。弟のそっけない見送りの言葉と、少数編成の貧相な楽隊に見送られて、彼女は祖国を後にしました。少数の近しい家臣と、本棚から抜いてきた何冊かの本と、優しかった父にもらった一枚の鏡だけが、彼女とともにありました。
 
 はじめ、嫁ぎ先の国は彼女にとってとても住みやすい場所でした。年の離れた夫は、彼女を愛していました。彼女が美貌と読書以外について全くの無能であることも、よく理解していました。亡くなった先代の王妃との間に娘が一人いましたが、彼女も物静かでありながらどこか子供のような、物語を読み聞かせてくれる新しい母によくなついていました。
 幸せな家庭が、そこにはありました。
 しかし、年の離れた夫が死んでから、その状況は一変しました。姫はまだ幼く、即位するには早すぎました。彼女は妃から女王になりました。しかし、彼女は多くの事柄について、全くの無能でした。国を運営するということについて、無能でした。家臣たちを上手くまとめることについて、無能でした。少女ではなく娘を持つ母として生きることに、無能でした。ことごとく、無能でした。そんな彼女が国の元首であることに、家臣たちは当然のごとく不安を感じるようになりました。
 家臣たちは次第に、彼女を軽んじるようになっていきました。彼らはあからさまに女王を遠ざけ、姫を優遇しました。異国から嫁いできた美しいだけが取り柄の無能な女など自分の主君ではない、幼い姫にこそ自分は忠誠を尽くすと、そのように考える者が多かったのです。
 彼女は以前にも増して部屋に引きこもるようになっていきました。実家の城から持ってきた物語の本はもうボロボロになっていましたが、毎日のようにその本を開き、何度も何度もそれを読み返しました。城の家来も、実家から連れてきた少人数の家臣も、遠ざけるようになりました。亡き夫の連れ子の姫にはまだ物語を読んであげていましたが、それ以外の時間は姫をも遠ざけるようになっていました。寝室に入れてほしいという姫に、扉を開かずに追い返すことも多くなりました。
 その時きっと、彼女の脳裏には優しかった父や夫の姿が浮かんでいたのでしょう。物語を認めてくれた父と夫。いつも自分を「美しい」と言って可愛がってくれた父と夫。彼女が引きこもっていた部屋には、父からもらった大きな鏡がありました。
 その頃から彼女はあることを日課にするようになりました。朝起きると自分の部屋にある鏡に向かって尋ねるようになったのです。「この世で一番美しい者は誰か」と。そして、その鏡に自分がうつっているのを見て、満足するのでした。
 家臣たちは彼女のことを気味悪がりました。思い上がっている、と言う者もいました。しかし、彼女にとって、それは心の平穏を得るための必死の確認作業でした。彼女の精神のバランスをギリギリのところで保っていたのが美しさと物語だったのです。

 それはある冬の朝でした。朝日が澄み渡った空と山との合間に頭をのぞかせ、その光は窓から部屋に差し込んで、部屋の絨毯の上にまだ熱を伴わない、冷たい日なたを作っていました。
 女王はいつものように起き出して、鏡に向かって尋ねました。
「この世で一番美しい者は誰か」
 そこに映ったものを見て、女王は驚愕しました。そこには女王ではなく、一人の少女が映っていました。その少女は鏡の中から満面の笑みを浮かべてこちらを見ています。あろうことか手まで振っていました。
 鏡の中で笑っているのは紛れもなく、女王の義理の娘。幼い姫でした。
 
 その時、ギリギリのバランスを保っていた女王の精神は、ついにそのバランスを失いました。

 正気を失った女王は、もはや姫に対する愛を忘れてしまいました。自分の生きる理由であった美しさを何とか取り戻そうとした女王は、その日のうちに家臣に姫を殺すよう指示を出しました。しかし当然、家臣たちはそれを実行しませんでした。家臣たちは姫を城から少し離れた森にかくまい、金で雇った狩人に姫を殺したと嘘をつかせ、豚の心臓を姫のものだと偽って女王に献上させました。
 しかし、真実はすぐに明らかになりました。女王を愚弄しようとわざと口を滑らせたある家臣から真相を聞いた彼女は怒り狂いました。姫を殺すようにもう一度命令を出しましたが、その命令を聞くものは家臣の中には誰もいませんでした。
 気が狂った孤独な女王は、もはや自分で姫を殺す以外に方法は無いと知りました。
 女王は無能でした。人を殺すことなど、できるはずもありません。けれども彼女は気が狂っていたので、そんなことはみじんも考えませんでした。毒の作り方など知らない彼女は突然、「私は魔法使いだったのだ」と言い出しました。彼女は魔法など使えませんでしたが、実家から持ってきた本の中には、魔法使いが活躍するものもありました。女王はもはや、物語と現実の区別も失っていたのです。
 彼女は夜な夜な鍋を火にかけ、怪しげな薬を作るようになりました。その中には、イモリの黒焼きや、厨房で見つけた果物の種、動物の内蔵など、およそ彼女の考え得る魔術的なものが全て詰め込まれていました。
 それをごった煮にして、何日も火にかけ続けました。最初は有毒であったものもすっかり火が通り、毒が抜けるほどに執拗に煮続けました。やがて鍋の中の材料はくたくたに溶け、原形が分からなくなりました。
 女王はそれを恐ろしい呪いの秘薬だと思い込んでいました。しかし、実際のそれは執拗なまでに熱で消毒された恐ろしく不味くて安全なスープでした。
 女王はそのスープに漬け込んだリンゴをいくつか用意し、窓のカーテンを引きちぎり、変身のつもりで身にまとい、同じく変身のつもりで顔に泥とすすを塗りたくり、姫のかくまわれている隠れ家に向かいました。
 謎のしゃがれ声にドアを開けた姫は、カーテンをまとい、泥とすすにまみれた顔の女性を継母の女王だとは気付きませんでした。女王は姫に不味いスープに漬け込んだリンゴをしつこく勧め、民の願いをむげにしてはいけないと教えられている姫に、ついに一口かじらせました。
 その直後、城を出た時からずっと後ろを着いてきてきた家臣たちに女王は取り押さえられました。
 数人の男に身体の自由を奪われ、連れて行かれる王女の後ろで姫は小さく「不味い」と言ってリンゴを吐き出しました。そこにいつの間にか家臣たちに連れて来られていた姫の許嫁の王子が現れ、家臣たちに言われるままに姫にキスをしました。
 数日後、姫と王子の結婚が宣言され、女王の廃位が決まりました。自分は魔法使いだとわめき続ける先代女王は、民衆の前で首を落とされ、ようやく静かになりました。

「これが、私が知っている、この鏡の持ち主に関する話です」
 男は話を終えた。ハンスは、混乱していた。
「そ、その話が本当ならば、この鏡は魔法の鏡ではない……?いや、しかし……」
「私としましては、なぜこの国の人々がそうまでしてこの鏡を魔法の鏡だと思いたがるのか、不思議でなりません。鏡とは、見る者の姿を映すものではありませんか? 鏡の前に立って何を尋ねようが、そこに自分自身の姿が映るのは道理。むしろ、それ以外の姿が映った時にこそ、何かしらの企みを疑わねばなりません。そして、この場合、疑うべきは……」
 男は言葉を切って、かたわらの鏡を見つめた。
 ハンスは鏡に近づいた。鏡には当然のようにハンスの姿が映っている。
「世界一の美男子を映せ」
 ハンスが尋ねても、そこにはハンスの姿が映っている。
 その時、男が鏡を回転させ、鏡の裏をハンスの側に向けた。
 そこには、木目にまっすぐに縦の線が入り、中央付近に小さな取っ手が、両端には蝶番が備え付けられていた。ハンスが取っ手を引くと鏡の裏板は両側に開き、ガラスを通して鏡の向こう側、倉庫の壁が見えた。
「疑うべきは、女王に美しさを尋ねられた鏡に、女王の望み通り女王の姿が映ったことではありません。むしろ、そこに女王の意向に反して姫の姿が映ってしまったことです」
「誰がこんなことを」
「それを予想するのは容易だと思いますが」
「家臣たちですか」
「ええ。王女の寝室の鏡の裏側には、家臣たちによって密かに壁に穴が空けられておりました。そこから姫は王女の部屋をのぞいていたのです。大好きな継母の部屋をね。それを見た王女の心が壊れてしまうとは露ほども知らずに。全ては家臣たちの思惑通りです」
「……現在の女王陛下は、この真実をご存じなのだろうか」
「さて、どうでしょうか。当時の姫はまだ小さく、記憶はおぼろげかもしれません。しかし、現在は魔女と呼ばれ忌み嫌われている継母のことを愛していた記憶は、残っていると信じたいですね。さらに、世間に流布している魔女の伝説を疑うきっかけは、この国の国民同様、いや彼女は特に持っているでしょう」
 そこで男は少し言葉を切り、口の端を少し上げていたずらっぽく笑った。
「なにせ女王様は、お世辞にも美しくはありませんからな」
 ハンスもそれにつられてほほえんだ
 そうなのだ。現在の女王の人柄は高潔で温厚で、全ての民に愛されている。また、若い頃からきめの細かいその肌の白さはまるで雪のようであった。しかし、彼女はいわゆる「美しい」顔立ちは全くしていない。民衆が王室から発表される先代女王についての見解を完全に信じ切ることができないのは、それがあるからなのだ。式典時の装いをした状態しか見ない民にもそれが分かるのだ。素顔を毎日見ている本人が、それを疑問に思わないはずはない。
「それにしても、あなたは一体、なぜそんな話を私になさったのですか」
「そろそろ、頃合いかと思いまして。この鏡もそうですが、本当のことを私以外の誰かの頭の中に、残しておきたかったのです」
「本当のこと、ですか。それはつまり、最初から魔法なんてものは存在しなかった、という」
「いえ、そうとは言っていません」
「え?」
「ただ、魔法は世間で思われているようなものではない、ということは事実です。魔法とは、世間が思っているよりずっと融通が利かない、不便なもの。案外誰かのために使うことができないものなのですよ。たとえば、少女の頃から仕え続けた主人が破滅の道を進んでいるのを、本物の魔法使いにはどうしても止められなかった」
 その時、締め切ったはずの倉庫の中にどこからともなく風が吹いた。床にたまった埃が舞い上がり、ハンスは思わずめを目をつむった。
 ハンスが再び目を開けた時、目の前の男はいなくなっていた。
 一枚の鏡だけが、その場に残されていた。

 布を被せて目立たなくした鏡を荷台に乗せて、ハンスは帰路についていた。
 この鏡は売れないな。
 そんな風に思い、そして、それならばと自宅のどこにこの自分とは不釣り合いの豪奢な鏡を配置するかを考えながら歩いていると、ふいにハンスの視界の端を、白い綿毛のようなものが横切った。
 空を見上げると、下からは無数の黒ずんだ粒に見える雪が、こちらに向かってゆっくりと下降してくるところだった。
 ハンスは足を早めて家路を急いだ。
 雪が鏡を濡らして、ダメにしてしまわないように。

 数日後、ここしばらく病にふせっていた女王が息をひきとったことが、民に伝えられた。新たな王には女王の長男であった王子がついた。
 死んだ女王の命でそのまま残されていた先代女王の部屋と家財道具一式は、新たな王の命により全て燃やされることになった。
 しかし、先代女王が大切にしていた鏡だけは、どこを探してもついに見つからなかったという。
 

前回のお話

 

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