飄々舎

京都で活動する創作集団・飄々舎のブログです。記事や作品を発表し、オススメの本、テレビ、舞台なども紹介していきます。メンバーはあかごひねひね、鯖ゼリー、玉木青、ひつじのあゆみ。

スポンサーリンク

鬼と犬

「桃太郎さん、桃太郎さん」

 僕は居酒屋の二人席の片側に座った、見覚えのある大きな背中に声をかけた。

 すると声に反応したその背中がゆっくりと回転し、見知った顔がこちらを向いた。

 酔いが回っているのか、赤い顔に半開きの目だが、その顔は間違いなく僕の知る桃太郎だった。

「あー、こりゃあ珍しい奴が来た。元気だったか」

 顔が赤くなるほど酔っている割にははっきりとした口調でそんなことを呟きながら、桃太郎は僕の頭を荒っぽくなで回した。昔と変わらずゴツゴツした、硬い手のひらだ。彼になでられると少し痛い。

「おかげさまで。食うには困らない生活をさせてもらっていますよ」

 実際そうだった。鬼退治の武勲のおかげで、僕を飼いたいという人間や祀りたいという神社は後をたたなかった。現在はほどほど豊かで、話が分かる神主のいる神社に居候させてもらっている。話が分かるというのはつまり、僕の存在を「賽銭のタネ」と割り切って考えられているという意味だ。下手に崇められるよりそれくらい現実志向の人間の方が付き合うには楽だということを、僕はこの数年で学んでいた。

「それはよかった」

 桃太郎は目を細めて、相変わらず僕の頭をなで続けている。僕はその手からするりと逃げて、桃太郎のとなりの椅子にによじ登った。これで同じ目線だ。

「実は今になって、そのことが少し気になっているんです」

僕はそう言って、彼の目を見て話し始めた。

 3年前のあの日、桃太郎一行、すなわち僕と桃太郎、猿、キジは鬼ヶ島に上陸した。今では話に尾ひれが付いて、大しけの海を荒波をかぶりながら進んだようなことになっているが、実際は晴れてこそいなかったが曇り空の下、そこそこの風に恵まれた安定した航海だった。船は長距離の貿易で使われるような本格的なもので、港で雇った船乗りに操縦を任せていた。僕らの一行だけが乗るには明らかに大きすぎたが、桃太郎は帰りのことを考えてそれでいいと言った。

 上陸した後の戦闘も世間で伝説になっているようなものとは違う。もちろん僕も、猿も、キジも勇敢に戦った。しかし、僕らは所詮は動物だ。はっきり言って、僕は一匹の鬼すら噛み殺した覚えはないし、それは猿やキジも同様だろう。だいたい、あの鬼という奴の皮膚はえらく堅くて、並大抵の牙や爪やくちばしや、そこら辺の刀でだって太刀打ち出来ないのだ。

 しかし、そんなことは我らの大将にも分かっていた。最初から、僕らの役目は鬼の駆逐ではなかった。

 港から舟に乗る前、旅籠で最後の作戦を確認している時、桃太郎は言った。

「いいか、お前たち。鬼ってのはとてつもなく頑丈に出来てるんだ。言っちゃあ悪いがお前たちの歯やら爪やらで太刀打ち出来る相手じゃない。お前たちの役目は、鬼を追い立てることだ。俺の指示通りに鬼を追い立てて、狭い場所に誘い込め。後は、俺がけりをつける」

 当日、僕たちは計画通り、桃太郎の指示に従って鬼を追いかけ回した。20匹ほどの鬼ヶ島の鬼たちはみな、筋骨隆々の青年や中年ばかりで、老いた鬼や幼い鬼はいなかったのでなかなか苦労したが、最終的には桃太郎の指示に従って岩の裂け目に出来た洞窟のような場所まで追い立てることに成功した。

 鬼たちがその洞窟の中に入ったことを確認すると、桃太郎は僕たちにすぐに洞窟から離れるように指示を出した。

 彼はその時、港から舟に積んで持ってきた大きな俵がいくつも乗った荷車を引いていた。

 僕らが指示を守って素早く洞窟から離れると、彼は荷車を引きながら勢いよく洞窟に飛び込んでいった。かと思うと、すぐに空になった荷車を引いて洞窟を飛び出してきた。次の瞬間、周囲にそれまで経験したことのない様な爆音が響き、洞窟の奥から何かが崩れるような音がした。

 後から桃太郎に教えてもらったが、その俵には南蛮渡来の火薬というものが嫌というほど詰めてあったらしい。鬼ヶ島に住んでいた鬼たちは、全員、岩につぶされてぺしゃんこになって絶命した。

 その後、僕らは島の反対側に回り、鬼の宝物庫に残された山のような宝物を荷車に積み、鬼たちが町からさらって来て牢に閉じこめていた数十人の人間を解放した。

 往路では大き過ぎた船だが、帰路では小さいくらいだった。人と宝をありったけ詰め込んだ船が港につくと、そこには鬼ヶ島陥落を喜ぶ人と、鬼ヶ島にとらわれていた人の家族が待っていた。

 

「久しぶりに家族に会えて喜ぶ、あの人たちの笑顔が僕は忘れられないんです」

 僕はそう言っていつの間にか店主が気をきかせて置いてくれた、目の前の皿の液体をぺろりとなめた。中身は酒ではなく、水だった。

「そうだな。それで、お前は何が気になってるんだ?」

 桃太郎の疑問に、僕は答えた。

「あまりにも、上手く行きすぎではないですか?」

 桃太郎は、黙って僕の目を見ている。僕はさらに話を続けた。

「後から考えてみると、僕ら三匹が追いかけるくらいで鬼たちがあんなにやすやすと一つの場所に逃げ込んだのはおかしいです。鬼たちは一匹一匹の力が人間に比べて強いうえに、僕らより数が多かった。その気になればもっと手強かったはずです」

「ふむ」

「それに、そもそも、鬼の数があまりにも少なかった。僕らが退治した鬼は多くて20匹ほど。あの広さの島に住んでいる数としては少なすぎる。それに」

 僕はそこで言葉を切って小さく息を吸った。桃太郎はさっきから、一時も目を逸らさずに僕の方を見ている。

「それに、それらのことを全て桃太郎さん、あなたが知っていたらしいことが、一番気になります。あの日から僕は、時間があれば鬼ヶ島の戦いのことを考えていました。考えれば考えるほど、桃太郎さんの作戦は鬼の数が少ないことや、彼らが本気で反撃してこないことを想定して立てられたとしか思えない。桃太郎さん。あなたは、鬼ヶ島に上陸する前から鬼たちとつながっていたんじゃないですか?」

 桃太郎は黙っていたが、僕が次の言葉を発さずにいると、自分が話す番だと悟ったのか、静かな口調で呟いた。

「なるほどな。わかった。じゃあ仮に、俺が鬼たちとグルだったとしよう。それらのことを考え合わせた結果、お前は何が真実だと思うんだ?」

 どうやら桃太郎は最後まで僕に話させるつもりらしい。僕は口のまわりをぺろりと舐めて湿らせてから、言葉を続けた。

「まず、前提として鬼たちが現在すでに全滅しているということを頭に入れておかねばなりません。あれ以来、鬼ヶ島には複数の人間が移住しましたが、そこで鬼を見たという話は聞きません。また、一方で桃太郎さん。あなたが鬼とつながっていたとすれば、あなたは基本的に鬼の望むことをしたはずだ。もし土壇場で鬼を裏切り、彼らの望まない結果をもたらしていたとすれば、今まで黙っていたこととと辻褄が合わない。奸策による勝利も、悪に対しては立派な勝利なんですから。と、なると、導き出せる結論は一つです。鬼たちは全滅することを望んでいた」

 僕は言葉を切って桃太郎の方を見た。昔からこの人の表情は読めない。しかし、心なしか酒に酔って半開きの目の奥が、わずかに笑っているような気がした。

「なかなか面白いことを考えるな。確かにお前の話は辻褄が合っている。しかし、行動の辻褄が合っているだけだ。肝心の、その行動に至った理由が全く欠けているぜ。そもそも何故、鬼は全滅なんかしようとしていたんだ?そして、何故それをわざわざやっかいな方法で俺に手伝わせたんだ?」

 桃太郎の口調は、まるで弟子を試す師匠のそれであった。やはり桃太郎は楽しんでいる。しかし、それは僕にさらなる自信を与えた。どうやらここまでの推理は間違っていないらしい。

「辻褄が合っているなら、後のことはただ、それに合わせて考えればいいのです。簡単なことです。まず第一に、鬼があなたに自分たちの全滅を手伝わせた理由ですが、別に難しく考える必要はありません。我々が誰かに助けを求める理由、それは総じて助けを求めないと目的が遂行出来ないからです。それはこの場合にも当てはまります。鬼は自分の力では全滅が出来なかった。だからあなたに助けを求めたのです。

 鬼の皮膚はとてつもなく硬い。動物の牙や爪、さらには刃物でさえ通さないその皮膚は、敵と戦う際には便利です。しかし逆に、自ら死を選ぼうとした場合、それは大きな障害となったことでしょう。我々が戦った鬼はあの島で暮らしている鬼の数としてはあまりに少なかった。それに年齢差も性差も無く、全ての鬼が屈強な若者もしくは中年の男性でした。これは想像ですが、比較的脆弱な女子供や年寄りの鬼は自ら命を絶つことが出来たのではないでしょうか。だから少数の、それも屈強な鬼ばかりが残っていた。

 そして桃太郎さん。あなたはそんな屈強な鬼たちを全滅させた。これは事実です。ですからその方法が彼らを殺害する手法として"正解"だったことも事実です。大量の爆薬で洞窟を崩壊させての圧殺。では、この"正解"に鬼たちは単独でたどり着けるでしょうか。不可能です。あれだけの量の火薬を手に入れるには、港の商人に注文を出して、輸入された火薬を方々の商店から買い集めないといけない。必要なものが一カ所に集まっていない分、力ずくで奪うことは出来ないのです。そこには必ず鬼ではなく人間による交渉が必要になる。これで、あなたが鬼に協力を求められたことにも説明がつきました」

 僕は一息ついて目の前の皿の水をまたひとなめした。桃太郎の顔は、今や楽しくて仕方がないという表情を隠してすらいない。半開きだった目も今は大きく見開かれ、爛々と輝いている。への字形だった口の両端もわずかに上がっている。興奮してさらに酔いが回ったのか、顔はますます赤みをおびてきたようだ。

「鬼たちが全滅を望んだ理由については、僕も分かりません。しかし、それは分かる必要がないことだと思います。それは彼らの心の問題ですし、彼らは既に死者だ。大切なのは、鬼たちが全滅を望み、そしてそれが桃太郎さん。あなたの手によって叶えられたこと。これが我々生者の知るべき"真実"です」

 不意に、桃太郎の体が小刻みに震えだした。続いて「クックックック……」という空気を詰まらせた様な声が彼の喉から漏れ始め、しまいにそれは大きな笑い声になって、いつの間にか僕と桃太郎だけになってしまっていた店内に響きわたった。

「……何がおかしいんですか?」

「おかしい?ああ、確かにおかしいけどな。それよりも、いやあ、うれしい。俺はうれしいよ。お前が神妙な顔して来るもんだから、いよいよお終いかと思ったが、そうか、そう考えたか!お前は俺が今まで会ったどんな奴よりも賢い。賢いお前がそう考えてくれるならもう安心だ!」

 僕はわけがわからず、ただ桃太郎の笑い声を聞いていた。安心?何のことだ?まるで僕の推理が間違っていたような、そんな口振りだ。

「お前の考えは部分的に正しい」

 桃太郎が愉快そうに言った。

「"鬼たちは全滅を望んでいた"。その通りだ。"それは彼ら単独では出来ないことだった"。これも正しい。"それに桃太郎が手を貸した"。これも、認めよう。確かにその通りだ」

「で、では、一体何が間違っているというんですか?」

 桃太郎は一瞬だけ、何かを思案するような顔をして

「お前は賢いし、心優しいし、口がかたいよな」

 と僕に向かって言った。尋ねた、というよりも自分の考えを声に出して確認する、というような口振りだった。

「お前が間違ったのはな。前提だよ。"鬼たちは現在すでに全滅している"。この前提がそもそも狂っているんだ。だから当然、導き出される結論も狂ってくる。でも、それは仕方がない。隠されているということすら隠されている真実なんだからな。知らなくて当たり前だ」

「え……、それはどういう、鬼は、全滅していない……?」

 僕は混乱した。鬼が全滅していない?では、彼らはどこにいるというのだ。それにさっき桃太郎は言った。「鬼は全滅を望んでいた」と。それは真実だと。いったいどういうことなんだ。

 そんな僕の疑問に答える代わりに、桃太郎は僕にへんてこな質問をぶつけてきた。

「なあ、"鬼"って何だ?」

「何だって、そりゃ鬼は鬼でしょう。赤かったり青かったり。角があって、屈強で皮膚が厚くて」

「お前、鬼と暮らしたことあるか?」

「あ、あるわけないでしょう」

「だよな」

 桃太郎は小さく息を吐いた。

「お前ら犬は喜ぶとしっぽを振る。猫は興奮すると毛が逆立つ。人は怒ると眉にしわが寄る。たまに髪の毛が少し逆立つような奴もいる。泣くと涙が出て、顔がくしゃくしゃになる。眉のしわの形は、人それぞれ違う。顔の歪み方も、涙の量も、人によって違う。鬼だって同じ様なもんだ。

 あるところに、興奮すると人一倍、身体に変化が訪れる奴がいたとする。真っ赤になったり角が生えたり、その姿が異形なものだから、そいつは周りに迫害される。迫害から逃れて各地を転々とするうち、自分と同じ様な奴を見つける。一緒に行動するようになる。行動する人数が増えるとその分、集団の人間が異形の姿を見られる機会は多くなる。迫害は強くなる。ある小島に逃げ込み、そこで住み始める。しかし、その周りに、暮らすのに必要な物を譲ったり売ったりしてくれる人間はいない。自給できないものは奪うしかなくなる。奪うときは身を守るためにも異形の姿で現れる。島の周囲の人間は次第に、その島を鬼が棲む島として恐れるようになる……」

「それが鬼ヶ島……?」

「鬼はずっと俺たちが思うような鬼の姿で暮らしているわけじゃない。むしろ、鬼の姿は興奮した時だけあらわれる、眉のしわみたいなもんだ。だから当然、訓練次第では全くその姿を封印することだって出来る。お前もその気になれば、うれしくてもしっぽを振らないようにできるだろ?逆に悲しいときにしっぽを振ることもできるはずだ。

 だが、鬼ヶ島の人々にとっては、そんなことができても意味がない。何故なら周囲の人間はすでにその島に住んでいるのが"鬼"だと知っているからだ。ならばどうすればいいか?鬼ヶ島の人々は考えて結論を出した。鬼ヶ島の鬼たちが一度"全滅"すればいい。お前は鬼がなぜ"全滅"を望んだかを知る必要のない心の問題だと言ったが、この理由こそが重要だったんだ。鬼が"全滅"すれば、鬼がいなくなった鬼ヶ島で彼らは"人間"として堂々と暮らすことができる。そのお手伝いを頼まれたのが、俺だ」

 桃太郎はにやりと笑って親指で自分を指した。

「あの洞窟はな、行き止まりではなくずっと奥までつながっているんだ。俺はその一方の入り口部分の岩を崩したに過ぎない。あの洞窟をそのまま進んでいくと、島を横切って反対側に出る。そこにあったのが……」

「……檻だ。さらって来た人間を入れた、檻」

「お前は、あの時戦った鬼は数が少なくて屈強な男ばかりだったと言った。その観察は間違っていない。あの時お前たちが戦ったのは、岩の下じきになるかもしれない危険をかえりみず、仲間の為に志願した勇敢な男ばかりだったんだからな。残りの連中は最初から、人間の姿で檻に入って俺たちが助けに来るのを待っていたんだ。そこに、後から島の反対側でひと芝居終えた終えた連中が合流した」

「それで、僕らは彼らを、鬼ヶ島の鬼を人間として助け出し、港に連れて帰った……?いや、ちょっと待ってください。あの時、確か港には鬼によってさらわれた人の家族が駆けつけていて、感動の再会をしていたではないですか。あれは何です?鬼の中に、実際にさらわれた人も混じっていたんですか」

「言ったはずだ。異形の姿はその気になれば封印できる。一人で島から出て、少し遠い町から移住してきたように見せかけてその地に住み着くのは難しいことじゃない。鬼にさらわれた人間なんて本当はいないんだよ。その噂を流していたのも、鬼ヶ島の人間だ。もちろん、感動の再会だったのは事実だが」

「そんなことが……」

「鬼ヶ島の鬼が全滅した後、鬼ヶ島に移り住んだ人間について調べることが出来たら、俺の言ったことが分かるはずだ。今、鬼ヶ島に住んでいる人間は全員、あの時俺たちが鬼ヶ島の檻から助け出した人間と、港で泣いて再会を喜んでいた人間だ。実は鬼ヶ島は何も変わっちゃいないんだ。周りの人間の見方が変わっただけでな」

 そう言うと、桃太郎は、目の前にあった猪口の液体をぐっと飲み干した。

 僕は何も言えなかった。自分なりに論理を積み重ねてたどり着いた結論は多少とっぴなものだったが、僕はそれを信じて桃太郎にぶつけた。しかし今は、それを遙かに越える衝撃的な真実を突きつけられている。

 僕は突然、目の前にいる桃太郎という人物が分からなくなった。一緒に旅をし、多少なりともその性格や内面を分かった気になっていた僕の中の桃太郎の像が、急激に揺らぎ始めていた。

 桃から産まれたと言って街に現れ、僕らのような動物をお供に鬼退治に出かけ、実際は鬼ヶ島の人々を救う手伝いをしていた桃太郎。

 あなたは、何者なのですか?

 どこから来たのですか?

 どこへ行くのですか?

 何を考えているのですか?

 僕が次々に浮かぶ疑問を口にしようとしたとき、不意に桃太郎の手が僕の頭に乗せられた。つい数十分前と同じように桃太郎が僕の頭を無遠慮にわしゃわしゃと撫でる。

 相変わらずゴツゴツした手。そして毛皮ごしでも分かる、とても硬い皮膚。

 僕はハッとして顔を上げた。

 真っ赤になった桃太郎の顔がそこにあった。

 僕は前足で桃太郎の飲んでいたお猪口を引き寄せた。

 桃太郎は僕の頭を撫でながら黙ってそれを見ている。

 お猪口の中に舌を入れて、中に残った液体を味わう。

 その中身は酒でなく水だった。