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飄々舎

京都で活動する創作集団・飄々舎のブログです。記事や作品を発表し、オススメの本、テレビ、舞台なども紹介していきます。メンバーはあかごひねひね、鯖ゼリー、玉木青、ひつじのあゆみ。

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ゆゆしい音色13:ピアニスト 【同人小説】

 7月26日 午前9時。

 甲斐の家の近所のスターバックスコーヒーはM市北部を東西にまたがるK通り沿い南向きに面した日当たりのよい位置に店を構え、午前中のこの時間帯に店先から通り側に構えたカウンター席を覗くとガラスに陽光が反射して中の様子が半分も伺えない。待ち合わせ場所に到着したとき、ガラスを挟んで顔が見えないまま手を振る甲斐の外見は必要以上に不審なものだった。店内に入りコーヒーを注文すると、みきのほうからまた声をかけ直す。

「おはようございます」

「おはよう。どうしてここがわかったの?」

「え?」

「どうしてこの店、指定したのかなと思って。ここ、うちの近くなんだ。すぐ裏の建物で一月、部屋借りてて」

「偶然ですよ。引越し中ですよね、お忙しいところすみません。ささっとデータ渡しちゃいますね」

 みきはポケットからUSBメモリを取り出す。ジーンズに綿生地のシャツを着て胸をはだけ、そんなものを着けるなら窓際に座らなければよいのに薄い黄色の入ったサングラスをつけたままコーヒーを飲みながらMacBookのキーボードを叩く甲斐はとても警官には見えなかった。

「そんなにものがあるわけじゃないんだ。だから、全然大変じゃないんだけどね。このフォルダ?」

 みき、甲斐が指差した画面を見て。

「あ、ちがいます。そっちは開かないで。この、日付がついたやつです」

OK」気を取り直すようにコーヒーを一杯。

「捜査中断ってよくあることなんですか」

「あったりなかったりだよ」

「結局、どうしてこういうことになったんでしょう?」

「ちょっと調べていく中で他の事件と関わることが出てきたんだ。大したことじゃないんだけど一度整理しないといけなくなった。物事には手順があるんだよ。道が2つ出てきた場合、そのどちらからでも先に通っていいわけじゃない。そういうことはよくある」

「詳しくは言えないということですね」

「詳しくは僕にもわかってないって言ったほうがいいかな。それより、君と仕事ができなくなるのが残念だ。警察組織っていうのはどうしてもまだまだ保守的だ。君みたいに手際のいい警官がもっといてくれたらもう少し僕の休暇だって増えるのに。女性だとしても君みたいに仕事ができる人をもっと登用すべきだ。交通課やセイアンのおとり捜査だけが君らの仕事じゃない」

「ありがとうございます」

「本音だ。それで今回の事件、どう思う?」

「どう、と言いますと?」

「君ならどう捜査する」

「はい……。所轄の刑事がこんなことを言うのはあまりよくないのでしょうが、向井の地元の交友関係をきちっと洗い直していきたいです。うちの管轄で行っている捜査と接点が見つかるかもしれません。甲斐さんの捜査に落ち度があると思っているわけではないです。ただ、自分の足で回ってみると見えてくることもあるのでは、と思っています」

「そうか……」

「すみません。出しゃばった意見でした」

「いや、撤回しないでくれ。君みたいに考える捜査官と仕事ができてうれしかったよ。正直にそう言ってくれてありがとう。また一緒に仕事をすることがあれば、僕もそういう敬意を君に示さなきゃね」

 

 7月26日 午前11時。水嶋宅。みきがリビングに入ると水嶋は彼女が最後にその部屋を出た時と同じ格好でメインのデスクトップの前に座っていた。

「水嶋さん、戻りました」

「甲斐のやつ、済ました顔しやがって。あいつ、女教師もののAVばっか見てるよ」

「水嶋さん、プライバシーは漁らない約束ですよね」

「あいつ既婚者だよな」

「水嶋さん」

「冗談だよ、みきちゃん」

「みきちゃん言うな」

「ほら、お望みのだ。準備しといたからそっちのWindowsを使ってくれ。パスワードは4289。あと、データは全部ここで見ること。別のパソコンに移して持ち出すと足がつくからそういうのはなし」

「ありがとうございます」

 窓の一切が締め切られた真っ暗な水嶋の家のリビングで、真っ黒な回転座椅子に座りデスクトップパソコン、Windows7の画面にログイン。みきは甲斐の捜査データを覗きはじめる。彼女が入手したかったのはA市での向井の交友関係だった。自費で当地まで赴いて聞き込みを行おうかとも考えたが、甲斐が一度捜査した場所に自分が赴けば警察もそのことをすぐに嗅ぎつけるだろう。単独行動として咎められる可能性を彼女は憂慮した。甲斐の捜査資料には、向井の親族や彼にお金を貸していたと思われる人物の来歴、家庭環境を中心に詳細な情報がよく整理されていた。そこには捜査報告の会議にまとめきれなかった些細なものも多く含まれ、情報として固まりきっていない曖昧なものだけをまとめたフォルダも存在した。彼女が探していたのはM市との関連だった。

 向井の妻、千恵には宮下雅秋というピアニストとの離婚歴があった。2002年に離婚が成立、2006年、宮下は自信がピアノを教えていた受講生と再婚、千恵の病気を理由として、ピアニストは娘のめぐみを引き取りしばらく3人で生活していたというところまでは署内でも報告された話だ。その3年後、宮下は後妻となった女に殺されている。裁判所は宮下による家庭内暴力があったこと、この女の正当防衛を認め罪には問われなかった。甲斐の捜査資料にはこのピアニストの経歴に関する情報もあった。

 

 宮下雅秋、1959年生。Q音楽学院高等科卒業直後、国内のQHQコンクールを最年少で優勝。Q音楽学院ピアノ科入学直後、研修制度によってニューヨークの名門G音楽院特別研修生となる。ニューヨークでは1963年のシューマン・ピアノコンクール優勝者であるブエノスアイレス出身のピアニスト、アナマリア・ボーレンバウム氏に師事。

1978年、ボーレンバウムと駆け落ち。学院を中退、イェルサレムで挙式をあげる。

`81年、ボーレンバウムが乳がんによって40歳で亡くなる。宮下も同時に消息を断つ。

`85年、ポーランドのカタリーナ妃国際記念コンクールで演奏家として電撃復帰し金賞受賞。受賞後、失踪期間中にイェルサレムからパリに移住しジャン・ジョエル・バルビエ門下と言われる演奏家、音楽史家のジャン・ジャック・ヤマグチ氏にピアノと作曲を師事していたことが明らかになる。

1987年に一時帰国し、この頃から国内ではCMやゲーム音楽のサウンドトラックを手がけ、国外では演奏家として活動するようになる。

1997年、知人の紹介で森宮千恵と再婚。

1999年、長女めぐみが生まれる。

2002年、妻・千恵の健康上の理由により離婚。

2006年、CM曲提供の縁で知り合ったキタムラ・フーズ社長の娘、当時16歳だった北村茉優と結婚。

2009年、自宅で死亡しているところを発見される。

 

 727日。M県警M警察署。午後7時。

「大足さん、ちょっとお時間いいですか」

「どうした?」

「ご相談したいことがあるんですが、このあと少しお付き合いいただけますか」

「奥さんと子どもがいるよ」

「はいはい。あの、大足さんはどうして河原の女の子の事件、捜査本部からおろされたんでしょうか。だって磯部くんが入ったんですよ」

「ああ、県警本部に高柳っているだろ、捜査総指揮の、」

「係長ですか?」

「同期なんだ。俺、あいつ嫌いなんだよ」

「それだけ?」

「終わりか?」

「いえ。確か、被害者の死因は窒息死でしたよね。首に一箇所だけ強く押された跡があり、その他には一切外傷なし」

「それが?」

「よく似た事件を見つけたんです。美術館で指の見つかった向井の事件なんですが、被害者の家族を洗ってみたんです。向井の妻には現在16歳のめぐみという連れ子がいました。めぐみの父親は宮下雅秋というピアニストで向井の妻・千恵とは10年ほど前に離婚しています。その後、宮下は2006年に再婚、2009年に亡くなっています。それも妻によって殺害されています。理由は宮下による家庭内暴力への正当防衛とされ裁判の末、刑事罰には問われていません。宮下の死因なんですが、左耳の下あたりに強く棒のようなもので押さえつけられたくぼみがあり、頚椎損傷による窒息死」

「……ふぅん」

「宮下を殺害した女は茉優という名前で現在は別の男性と結婚し、西村茉優と名乗ってM市内に居住、市内の音大に通っています。茉優の現在の夫は数年前まで市内のT大学大学院に在籍していた30代、無職の男性です。男が在籍していたゼミの生徒に聞き込みをしたところ、つい最近、この男と河原で発見された木村濃子が会っているところを目撃されています。」

「……その夫婦が容疑者だっていうのか」

「重要参考人として事情聴取する価値はあると思います。それからこの写真を見てください」

 みきはクリアファイルから2枚の写真を取り出した。1枚は宮下に関する参考資料として入手した16歳のマユの写真。そこにはブレザーを着た、内気でぎこちない笑顔の女生徒が写っている。卒業アルバムから持ってきたものだろう。そしてもう1枚は美術館の監視カメラ映像の抜粋。

「一方は宮下と結婚した前後の北村茉優の写真です。もう一方は先日の美術館の事件で撮られた監視カメラ映像に修正を加えたもの。この二人は同一人物です」

 大足は写真を手にとってあまり興味なさそうに見比べる。

「……まあ、いろいろ言いたいことはあるが。まず、状況証拠ばかりで、決定打がないな。そもそも向井の事件と河原の女子大生は関係がない。お前の妄想で喋ってると言われたらそれまでのレベルだ。写真はぼやけてるし、年齢も違いすぎる。同一人物だって言えんだろ、これでは。大体、どうしてこの写真を提出しなかった?」

「それは……」

「水嶋だろ。あいつに細工させて用意したな。犯罪だぞ。それで、これからどう進めるつもりだった」

「北村茉優の夫は、」

「そいつの名前は?」

「西村富優彦といいます。私の小学校の同級生です。向井の事件の当日、現場に来ていました」

「お前がお茶してた同級生か。……それで、またお茶しにいくのか」

「はい」

「感心しないな。自分の仕事は?」

「ちゃんとやってます」

 大足はみきの眼をじっと見つめ大きくため息をついた。

「話は終わりか? 俺は帰るぞ。今日は娘が誕生日なんだ」

 

 JRM駅南口から徒歩5分ほどの場所にあるコンクリートブロックに囲まれた奏江みきの自宅アパート、彼女の部屋がある102号室のポストには差出人の名前が書かれていない茶封筒がひとつ届いている。中には人間の歯のようなものが入ったペットボトルと二人分の歯科のカルテが封入されている。カルテのひとつには向井比呂志、もうひとつには宮下雅秋と名前が書かれている。

 

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