飄々舎

京都で活動する創作集団・飄々舎のブログです。記事や作品を発表し、オススメの本、テレビ、舞台なども紹介していきます。メンバーはあかごひねひね、鯖ゼリー、玉木青、ひつじのあゆみ。

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ゆゆしい音色20:皆殺しのメロディ 【同人小説】

 M市北部を東西にまたがるK通り沿い南向きに面した日当たりのよい位置に店を構えたスターバックスコーヒーは、午前中のこの時間帯に店先から通り側に構えたカウンター席を覗くとガラスに陽光が反射して中の様子が半分も伺えない。マユが店先に到着したとき、ガラスを挟んで顔が見えない甲斐の外見は必要以上に不審なものだった。店内に入りコーヒーを注文すると、マユのほうから彼に声をかけた。

 

*** *** ***

 

 市内にあるグランド・ホテル。高級そうなシルクのネクタイに真っ黒なビジネススーツを着た誠一は、黒のプリーツスカートに同系色の刺繍が入ったボレロに身を包んだみどりとよく日の当たるレストランで食事をしている。

「平日の昼間にこういうところに来ると静かでいい。少し値段をつり上げて、内装をもう少し辛気臭い感じにすればうるさいおばさんも来ないだろう」

「ビジネスマンらしくないご意見ですね。私もおばさんですよ」

「君はそういうおばさんではない。思ってもないくせに。24時間、ビジネスマンだと気疲れする。味も悪くない。こういう肉の高級品はどうやってつくるか知っているか? 仔羊の血を生きたまま抜くんだ。ぎりぎりまで殺さないで精肉処理を施すと肉の味が格段に変わる。この味は残酷な手続きの賜物だよ。そういえば、フェンが死んだ」

「それでは、モールの件は中止ですか」

「いや、続ける。御者を失って馬どもが暴走する前に手綱を握りなおさないといけない。そろそろ息子に会社の経営を任せてもいいかと考えてるんだ」

「まあ。引退なさるの?」

「まさか。実際の親子関係となると変に気をつかうからうまくいかんな。理想的な親子関係というのは血縁についての一切を気にしなくてよいものだよ。フユヒコくんにフェンのやっていた事業を任せたい」

「あんまりうまくいかなそうな提案ですね」

「そうでもないさ。彼は優秀だ。なによりあの娘と一緒に暮らしていける人間なんてこの世にはそれほどいない」

「フェンの部下が言うことを聞くでしょうか?」

「フェンの部下の中でも私に対して親切な連中とそうでない連中がいる。自分に対して親切な人間を増やせるかどうかは彼次第だ。世界中のどこに行っても自分に親切でない連中とは、付き合わないといけない。彼の力量を見極めるいい機会じゃないか」

 

*** *** ***

 

 T県警M市警察M区署。課長の町田に伴われて濃いブルーのシャツを着た背の高い男が入ってくる。町田、「9月からここで、嘱託職員として資料の整理をしてもらうことになった水嶋健吾くんだ。水嶋くんも元警官ということで大方の勝手はわかってると思うが、困ったことがあったら誰にでも聞いてくれ。あと、なにか一言あれば」

 磯部が手を挙げて、「部長、奏江さんは今日も欠席ですか?」と間の抜けた声で問いかけた。

 その日、仕事が始まってから大足は資料室に足を運び、水嶋と部屋に二人きりであることを確認して、入り口をファイルの積まれた椅子で塞いだ。大足が先に口を開いた。

「8月6日、俺の携帯にパトカー出せって電話したのお前だろ」

「副署長はただの事故死じゃない。もう少し面倒なものとつるんでいた」

「面倒なもの?」

「企業、コンツェルン、外資、政治家。はっきりはまだ知らん」

「甲斐の資料にアクセスして捜査資料、盗んで、奏江にリークしたな」

「でも結局あれは罠だった」

「奏江は今、どこにいる?」

「わからん。キタムラ・フーズの娘の跡を追いかけてる」

「治安組織っていうのは悪さをするものを取り締まるだけが能じゃない。たとえそれが、悪事をはたらいていようとも大きな権力というのは、それを削いでしまえば結果として治安を乱してしまう」

「甲斐になにか吹き込まれたか」

「公務員の仕事は目の前の仕事をこなすだけだ。難しいことを考えて余計なことをすると職を失う」

「一度経験した」

「学習しないな。個人的な感情で仕事をするな。お前はまた警察内部の人間になったんだ」

「冷たいな。俺よりもお前のほうがみきちゃんのことを気にかけていると思ってたが」

 

*** *** ***

 

 ホテルのトイレの中でレストランへの入場を断られないためのスーツに着替え終わる。脱いだパーカーからスーツのポケットにしまい直そうとした電話に非通知で着信が入る。

「もしもし、先生?」

「有下さんですか?」

「まだM市内にいるんだ」

「なんだ、言ってくれればいいのに。いつまでですか?」

「俺、あれから今日までずっといたんだ。明日の朝には東京に帰る」

「仕事はいいんですか?」

「仕事なんかネットがつながればどこでもできるよ

「本が売れてるみたいでいいですね」

「本なんか売れるもんか。俺なんか最近、コンビニの雑誌コーナーの隅っこにある暴露本みたいなやつあるだろ。あれ書いてるよ。『業界の裏側 闇の真実』みたいなやつ。まったくろくな仕事がないんだ、いやんなっちゃうよ。それより、先生に仕事持ってきたよ。今日の夜、会えないかい」

「わかりました。ちょっと今、取り込んでるのであとで掛け直してもいいですか」

OKOK。ごめんごめん。忙しいよね。そうだ、忙しいといえばさ……」プツッ。

 トイレから出てホテルのロビーへ。入り口から入ってすぐ奥、大理石の仕切りで囲まれ、一段上がったところにビュッフェ会場。客はまばらだが席数が多いので客席の顔を一つ一つ確認するのには少し時間がかかる。しかし、椅子に座ったまま上半身を捩って僕の顔を見ている客は一人だけ。みどりさんだ。そちらにまっすぐ歩いていって義父の正面に腰掛ける。誠一の思考が一瞬だけ停止したのがわかった。しかし、すぐにいつもの芝居がかった大ぶりな話し方に戻る。

「なんだ。みどり君、君が呼んだのか? 俺を驚かせようとしたな。フユヒコ君、今、君の話をしてたんだ」

「濃子を殺した」

「ん?」

「お義父さん、あんたは濃子を殺した」

「……フユヒコ君、ちょっとわからないんだがなんのことかな。みどり君、知ってるか」

「最後までお聞きになったら」

「お義父さん、あんたの娘はずっとあんたのことを殺そうとしている。きっと、僕よりもずっとよくそのことをご存知でしょう。あんたの娘はちょっと頭のネジがぶっとんでるんだ。でもバカじゃない。僕は正直、ずっとわからなかったんだ。どうしてマユがあんたをそんなに憎んでるのか。でも今回のことで少しわかった」

「ほう」

「あんたたちは親子で同じことをしてるんだ。お義父さん、あなたのしてることは本当に尊敬に値するよ。人に嫌われながらお金を動かす、会社を維持する、拡大する。必要なことだ。誰にでもできることじゃない。僕も世話になってる。でも人を踏みにじってる。あんたのせいで人が飢える。死ぬ。とても簡単に。それをとがめに来たわけじゃない。あんたとマユとは同じことをしている。別々のルールに基づいて、同じ方法を用いている。正義はない。だから、あんたたちはお互いのルールが噛み合わないところで殺しあうことになる。僕はもっと真剣に考えるべきだったんだ。そういうことに主体的に巻き込まれたときの対策について」

「ずっと前に、巻き込まれてるわ。あなたが結婚を決めたときから」

「なにしに来たかと思ったら……少し、頭を冷やしたほうがいい」

 僕は義父の食べかけのステーキをこちらに引き寄せ、素手でばくばくと食べ始めた。ほんのり赤みを帯びた牛肉から肉汁がこぼれ、両手の指や唇に脂が絡み付いて滴り落ちた。

 

*** *** ***

 

 僕が迎えにいくと妻は乱暴にドアを開けて久々に飼い主に会った家出猫みたいにひょいと助手席にすべりこんだ。

「お義父さんに会ってきたよ」

 彼女はなにも言わず膝を抱えて親指の爪を噛みはじめた。

「出して」とだけ、言った。

「シートベルト締めろよ」

 車が走り出すと走行音のホワイトノイズの中へ誰にもばれないようにそっと潜り込ませるように「甲斐の顔、拝んできてやったよ」と彼女は言った。

 駅前に着く頃には日が暮れていた。二階の改札から女の子が一人エスカレーターを降りてくる。チョコレートみたいにてかてかした髪、結んだ二本のテールが後頭部から下がり、それに挟まれた小さな頭、まん丸の団子鼻と、黒目ばかりの瞳、横に裂けた鋭い猫目、八重歯の覗く大きな口、「adidas」とピンク色でロゴが入った黒いリュックは家出少女を思わせる。

「めぐみ、こっち」別人みたいに大きな声で妻が叫ぶ。自分の名前を呼ばれた少女ははっとして妻の顔を確認する。元の無表情に戻ると全く無感動な様子で僕を一瞥し、つんと高慢ちきそうに唇をとがらせる。

「よっ! ニート」

「会うたびにそれ言うね」

 後部座席に座っためぐみはiphoneを取り出して、対戦型のソーシャルゲームをピコピコやり始める。

「キタムラのおじさんに君のお父さんが死んだときのグッズが漏れてるんだけど、なんか知らない?」

「まじで? やば」

「そんな冷めた反応されると現実感ないわ」

「でも、悪いけどあれは自殺だから。ね、マユちゃん」妻は返事をしなかった。

「君、いくつだったの?」

「そういうことふつうにきくよね。デリカシー」

「なんで自殺だって断言するんだ」

「うちは幼稚園とかだったけど、お父さん結構やばかったんだ。ずっと音楽が鳴ってる。鳴ってる鳴ってるってなんか途中から言い始めて頭の中でいっつも5曲ぐらい曲が一気に流れてるんだって。それを一個ずつ演奏して記譜して頭から外にだしてくの。2日くらい飲み食いせずに部屋にこもって。50時間くらいするとげっそりして出てくる。『悪魔は去った』とか言って。マユちゃんはその曲をたまに適当にテレビ局とか、代理店とかにFAXしてた。それが終わるとしばらく大人しいんだけど、またしばらくすると音が聞こえてくるって。それから家に防音室をつくるって言いはじめたの。工事がはじまったんだけど、今度は工事の音に耐えられなくなって近所のホテルにそれが終わるまで泊まり込んでた。でも外にいるとまたいろんな音が聞こえるからもうだめだっていってかえってきた。最後はまったく音のないところにどうやったら住めるかってばっかり考えてた。音がするといろいろ思いついちゃうんだって。うちにはピアノもあったんだけど、お父さんが作曲の目的で弾く以外は誰も使わなかったし、あとあの人、腕が強すぎて弾くと死ぬほどうるさいから、全部売り払って最後はうちがクリスマスにもらったはずのこんな小さい鍵盤のおもちゃ、うちから取り上げて頭の中の曲を書き起こしてた。

 お父さんが死んだのは、よその家だった。お父さんがもともと使ってたピアノはどっか知らない、音大とか目指してる系の女の子の家に払い下げられてたんだけど、お父さん、犬みたいに嗅ぎつけて、そのピアノ見つけ出してその子の家に忍び込んだ。マユちゃんがお父さんを回収しにいったの。あとから家の人が見に行くと、足が一本折れた壊れたグランドピアノの上でお父さん、窒息して亡くなってた。そのときはうちも部屋に入った。マユちゃんね、子どもがみるものじゃないけど、どうせ私は他人だから、お父さんの顔、めぐみは見ときなさいって。でも、ああなったら人間も終わりだねとしか思わんかった」

「これから、どこへ行くつもり?」と、マユ。

「羽生くんは、どうせ君にヨーロッパにでも行けと言ったんだろ?」

「そうそう。ヨーロッパか。いいけど、車で行けないね」

「めぐみちゃんは、どこに行きたい?」

「帰りたい」

「家出してきたばっかりじゃないか」

「マユちゃんの家に帰りたい。それで熱いシャワーを浴びて柔らかいおふとんでゆっくり寝たい。気がすむまで、ゆっくり」

 

 

    おわり、あるいはつづく