飄々舎

京都で活動する創作集団・飄々舎のブログです。記事や作品を発表し、オススメの本、テレビ、舞台なども紹介していきます。メンバーはあかごひねひね、鯖ゼリー、玉木青、ひつじのあゆみ。

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「ゆゆしい音色」5−1:才能 【同人小説】

前回はこちら↓ 

hyohyosya.hatenablog.com

 

 「天才っていうのはなにをしたらいいか知っているということなんだよ」

 なにも聞く前から藤本はそう話し始めた。羽生が彼の自宅のドアを開けると車椅子に乗った藤村がいた。骨と筋だけになった手足の上にボールペンで描いたように細い真っ青な血管が浮かんでいる。彼が喋るとまるで風のないところで薄い布が枚揺れているように不気味だ。

 MK芸大弦楽科の羽生と言うと高校生の頃から国内のコンクールでは必ず優勝するほど名実ともに優れたヴァイオリン奏者だったから、彼が国内の大学に進学するなんてそ

 

れまで周囲の誰も想像していなかった。入学後、最初の定期試験で協奏曲を演奏するために彼はピアノ伴奏を引き受けてくれる同級生を探していた。誰も引き受けたがらない。入学前からちょっとした有名人だった彼の人柄を同級生たちは誰も知らなかった。音でも間違えたら殺されるとか、本番前は何日も一睡もせずに練習に付き合わせられるだとか根も葉もない噂は勝手に流布している。彼の元には仕事の依頼こそあっても同級生との食事の約束ひとつなかった。羽生から伴奏者不在の相談を受けた担当教師は昨年度末までMK芸大で客員教授をしていた藤本というピアノ科の教師を紹介した。「僕は学生を紹介してほしいんです。定年退職した教師じゃなくて」羽生はそう答えたが「まあ、行ってみるといいよ」とそれ以上詳しくは教えてもらえなかった。

 藤本はM市郊外にあるパープル・ヴィレッジという住宅地に住んでいた。住宅地にある住居のほとんどは建売だったが、彼の家はパープル・ヴィレッジの入り口ゲートにあたるような大きな歩道橋の手前、住宅地のぎりぎり外側に建てられた二階建ての真っ白な新築住居。周囲に他の住宅はなく代わりに農協とコーヒーショップ、生活雑貨の店なんかが並ぶ。

 

「藤本さん、元気だった?」

 漆で朱塗りされた櫃の底に残ったあとわずかなご飯粒を割り箸の先でつつきながらあまり興味なさそうに女が尋ねた。

「……いや」

「だろうね。げっそりしてたでしょ」

 まるで他人事だ。西村マユはうな重一人前でピアノ伴奏の話を引き受けた。羽生は自分から申し出た話だったとはいえ、藤本から聞いた話を反芻しながら彼女との共演について大きな期待と不安を抱えていた。

「天才の話を聞きました」

「なにそれ?」

 羽生は藤本から聞いた話を続けた。

 

「強いボクサーというのは自分よりも強い選手と当たると『見て』しまうんだ。相手が自分の見たこともないような動きをするとそれがどんな動きなのか一瞬観察してしまう。その瞬間、動作が止まるんだ。その一瞬で相手に打ち込まれる。本当は立ち止まったその一瞬が、相手のパンチを避けるべき一瞬、あるいは踏み込んで打ち込むべき一瞬だったんだ。才能とはそういうことだ。その瞬間になにをしたらいいかいつも知っている。決して迷わない。一瞬たりとも頭で考えたりしないということだ。演奏家だって同じだ。例えば、学者とか批評家があんなにいろんなことを知っていて明確な言葉で説明ができるのに自分では新しいものをひとつもつくれないのはなんでなのか。天才は努力をしないのではない、分析をしないだけだ。努力ならしている。天才は直感的にその都度どういう努力をしたらいいのか知っている。だから天才は壁にぶつかるということがない。自分のしていることについて立ち止まって考えることをしないから、それについて説明もしないしできない。自分が何をやっているかということも直感的にしか理解していない。私も少し前までは自分のことをそういうタイプの人間だと思っていた。」

 今は点滴を取り外すことができず車椅子に乗ったままの生活を続けているが、彼は半年前までは身長185センチ、体重80キロの大柄な男だった。神経質で陰気な芸術家ではなく、愛して飲んで歌っての気ままな音楽家だった。妻と二人の娘に囲まれた暮らし。誰もが羨む人生だった。ただ彼は「見て」しまった。それで初めて彼は気がついた。自分が一番ではないと。自分は陽気なルービンシュタインではなく陰気なホロヴィッツだと。半年前、西村マユは彼の担当するMK芸大ピアノ科の生徒として初めてレッスンルームにやってきた。

 

つづく 

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