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飄々舎

京都で活動する創作集団・飄々舎のブログです。記事や作品を発表し、オススメの本、テレビ、舞台なども紹介していきます。メンバーはあかごひねひね、鯖ゼリー、玉木青、ひつじのあゆみ。

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元少年A著『絶歌』ではなく、山下京子著『彩花へ』を読みたいと思った理由。

 

青木です。

はじめに断っておきます。
私は、『絶歌』のあとがきしか読んでおりません。
しかも私が目を通したのはネット上で引用されたもので、
本の内容と正確に一致しているかも確認しておりません。

今後読むことはたぶんないと思います。
それは「反社会的だから」でも「出版意義のない儲けるための本だから」でもありません。

「面白くなさそうだから」です。

「出版の是非」とかは論じませんよー

この場合の「面白い」というのは
「これまでの考え方や行動がグイッと変えられてしまう」くらいの意味になります。
『絶歌』にならぶ言葉には、そういう力がなさそうだなと感じました(個人的に)。

そもそも日本語として拙い文章が、あまり好きではありません。
あえて崩してるような、ふわーっとした文章は好きなんですが、副詞が変なところにあったり、一文がだらだらと長い文章は、そこばかり気になってしまって読んでいて疲れるんです。

『絶歌』に関して言えば、
文章の拙さや内容の幼さ自体が「売り」なんだと思います。
太田出版の言葉を借りるなら「社会的意味」とも言えるでしょう。

元少年Aのありのままの文章力、思考力、論理力こそが、あの「理解不能な」事件を読み解く材料となるということです。

(まあそうであれば、

香山リカさんが指摘するように「専門家の解説をつけるべきだった」とぼくも思います)

香山リカ、『絶歌』から「元少年A」の脳の機能不全を読み解く | 日刊SPA!

疲れそうだし、面白くなさそうだ

私が読まない理由はただそれだけで、出版差し止めを強硬に主張したり、不買運動を仕掛けたりは、もちろんしません。

下の松尾スズキさんのツイートみたいなことがあったら、拾って読むかもしれません。

 その一方で

 「これまでの考え方や行動がグイッと変えられてしまいそう」と思った文章があります。

事件について特段の関心がなかった僕にも、まっすぐ届いた言葉です。

冷静に簡潔に、
「何があって」「それにどう対応して」
「どんなことにどんな気持ちになって」
「今の心境はどうで」
「どんな感謝の念や願いを持っていて」
「何を大切にして考え、行動していくか」
が語られています。

被害に遭った山下彩花さんの母・京子さんが出されたコメントです。

神戸事件の遺族、加害男性の手紙や手記「絶歌」受け取らず 彩花ちゃんの母コメント全文(1/2ページ) - 産経WEST

 

コメントでは、

・『絶歌』の搬入日に出版の事実を知らされたこと
・元少年Aという匿名での出版であること
・遺族、関係者のみが知るべき事実が公にされたこと
・手記出版を手助けした人たちが居ること
などに対して
「ショックを受け、傷つき、憤りを感じました」と表明されたうえで、

「しかし時間の経過とともに冷静になり、『元少年Aや出版社の人たちと同じ土俵に立ちたくない』という結論に達しました。連日、メディアから取材の要請がありましたが、最初にコメントしたあと言葉を発することを控えていたのは、家族で話し合ったうえで先の結論が出ていたからです。
 先日、兵庫県明石市の泉房穂市長が、遺族感情を踏まえ市内2カ所の市立図書館にAの手記を置かない方針を表明されました。また、各地の書店でも販売自粛や不買の動きが広がっているようです。こうした日本社会の良識に心から感謝するとともに、今回の一連の騒動が、一日も早く最も良い形で収束する事を願ってやみません。そして、彼らに振り回されることなく、私たちが歩むべき道を歩いて行くことを彩花は望んでいると信じています。
平成27年6月23日 山下京子」
と続けられています。

感情と表現との距離

心の中の感情と表現される言葉の距離の「遠さ」に驚きました。
大きな山や広い海を見て感動する。そんな感覚に似ています。

ショックや憤りという負の感情と、時間的に、精神的に距離を置く、そのゆとりにやられました。

文章から「ものすごい安心感」をなぜか得た僕は、もう少し山下さんの文章を読んでみたいと調べてみたのです。

 

 

彩花へ―「生きる力」をありがとう

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彩花へ―「生きる力」をありがとう (河出文庫)

彩花へ―「生きる力」をありがとう (河出文庫)

 

 

 『彩花へ』

一気に読みました。
そしてまたまた、驚きました。

この本は、彩花さんのために書かれています。
あるいは、残された家族のために書かれています。
さらには、「これから子供を生む人たち」のために書かれています。

「今回の『事件』で、子供を生むこと、育てることに、多くの人々、とりわけ女性が不安を覚えたと思います。そんな人たちに、私は一人の母親として子供を生み育てることの素晴らしさを伝えたいのです」

なんとまあ。ちょっと信じられない想像力です。
事件によって社会にどんな変化が起きて、それを解決するために自分にはどんなことができるか。
的確に、冷静に感じ取っていらっしゃる。すごい、と思います。ただただ。

自分が生きる場所を得るために、『絶歌』を著した元少年Aを引き合いに出すまでもなく、「自分は何のために本を書くのか」を何周も何周もグルグル回って考え続けられたことがよく分かります。

別れずに済む人はいない

私はこの本に、事件当事者のドキュメンタリー性は求めていませんでした。内田樹さんや藤村忠寿さん・嬉野雅道さんの口からこぼれるような、「そういえばそうなんだけど、ちゃんと聞いたことのなかった話」を求めていました。
結論をいえば、『彩花へ』には、そういうものがありました。

たとえば「大切な人と別れずに済む人はいない」ということ。
いや、知ってましたよ、そんなことは。いつかは家族や友だちとも別れることになるらしい、というのは、もちろん。

でもこの本を読んで「ほんっとにそうなんだなあ」と初めて思えました。
自分のこととして具体的に、「大切な人たち」がいなくなるときの想定をするようになりました。

ものすごく悲しいんだろうと想像しながら、そのときに、その悲しさと距離をとる準備を始めたというか。決して暗く深刻な感じではなく。

「この感じ」はうまく言葉にできません。
あまりに痛ましく、あまりに悲愴な内容だったらブログに書くのもためらったのですが、そういう感じではなかった(し、あっても一部な)ので、異色なジャンルではありますが、雑感を書いてみました。

まとまるようでまとまりませんので
「自分も読んだよ!」とかあればコメントにぜひ。

ブックマークも、引き続きよろしくお願いいたします。

取り急ぎ。

 

では僕は、『ゲバルト時代』という本を紹介しましょうか - 飄々舎

 

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彩花へ―「生きる力」をありがとう

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